東京マグニチュード8.0 反省会

俺の予想は大ハズレ。
東京マグニチュード8.0 - 国家鮟鱇


納得してるかといえば納得していない(負け惜しみ)。それについてあんまり書いても見苦しいと思うし、評価している人もいるので、アニメを批判するのは控えるべきみたいな意見も見たことがあるんで。そういう人は読まないように。


そもそも悠貴の生死が視聴者に明確にしなかったのは、物語のテーマとして、そうしなければならない理由は特にないように思う。明示した上で未来の反応を描くという演出でも良かったはず。とはいえ、生死不明にすることによって話が(ミステリー的な要素で)面白くなったのは否定できない。で、そうするのなら、後でそういうことだったのかということが、ちゃんとわかるようにするべきだと思うんですね。前作の「東のエデン」は、そういう点で、結局何だったのかわからないことが多すぎだった(これも評価している人がいるので批判しない方がいいかもしれないけど)。


俺がわからないのは、悠貴が病院に運ばれるシーン。8話では明らかに悠貴を乗せたストレッチャーは病院の建物に向かっている。ところが10話では悠貴は消防庁のテントで死亡確認されている。これは一体どういうことなの?考えたのは、病院の建物に向かうシーンは「騙し」であって、実際はテントに運ばれたということ。しかし肝心のテントはどこにあるのだ?8話の冒頭で駐車場らしきところにテントがあるけれど、これはどこなのだ?ストレッチャーで運ばれるシーンで救急車が止まったところの近くにそれらしきものがあるけれど違うようにもみえる。大体それだと向かっている方向が違う。かといって建物の方にそれがあるようにも見えない。8話で翌日の朝のシーンで建物の別角度を描いているが、そこにも見当たらない。謎だ。とにかく悠貴は病院の建物内に運ばれているようにみえる。そして、その後の未来の「記憶」も全て病院内のものだ。ところが事実はそうではなかったというのだからわけがわからない。廊下の椅子で待機しているのも、手術室も「夢」だった。唯一、霊安室の廊下に遺体が置かれているのが事実の可能性があるけれど、これも考えてみれば不自然だ(電気ついてないし)。全てが「夢」なのかもしれない。救急車が到着するところからして「夢」なのかも。最後までどれが夢で、どれが現実なのかわからない。しかし、それでは何の手がかりもないことになり、あんまりだ。


あと、真理は未来の「奇妙な言動」に気付いていたことになるわけだけど、9話の終盤で「未来ちゃん、一緒にって」と言っているのが、未来の手紙の「悠貴と一緒に」と対応しているのだとしたら今さら驚くのも変だ(自分と一緒に帰るはずだったのにという意味である可能性も無くはないけど)。8話、9話で、真理が未来の奇妙な言動に気付いていたということが(後から見てででも)わかる描写が無いんですよね。


長々と書いてしまった。「こまけぇことはいいんだよ」っていわれれば、そうなんでしょうけどね。