大谷吉継に関する話題

全身包帯姿の武将大谷吉継 ハンセン病差別につながるのか (1/2) : J-CASTニュース


差別問題については深入りしない。個人的に気になるのは、

大谷吉継は、ハンセン病を患っており、崩れた顔を白い布で覆っていたと伝えられている。

というところ。


俺が大谷吉継ハンセン病(らしい)という知識を得たのは、15年くらい前だと思うけれど、司馬遼太郎の『関ヶ原』を読んで(だったと思う)。その頃は、今ほど日本史に強い関心があったわけではなく、歴史ファンといった感じだったから、「へえ、そうなんだ」って感想しか持たなかった。そもそも大谷吉継という武将がどういうことをした人物なのかを知ったのはこの小説が最初だったし。


で、その後、いろいろ日本史関係のことを調べていて、つくづく思うのは、
「と伝えられている」
というのがいかに当てにならないかということ。


「伝承が当てにならない」

ということではない。それはもちろん考慮すべきことだけれど、問題は、

「そもそもそんな伝承が存在するのか極めて怪しいという事例が多い」

ということ。


たとえば、

とか。


そういう疑問を持ってみれば、

大谷吉継は、ハンセン病を患っており、崩れた顔を白い布で覆っていたと伝えられている。

とあっても、素直に、そういう「伝承」があるんですねと受け入れるわけにはいかない。


しかし、俺は大谷吉継についてほとんど無知である。何を調べればいいのかさえわからない。ネットを見ても「伝えられている」という話ばかりで、原典や根拠を提示しているものが見つからない。


大谷吉継 - Wikipedia
には、

吉継は当時の仏教観で先生(せんじょう)の罪業に因する病として忌み嫌われていた癩病ハンセン病と思われるが、梅毒等の異説有り)を患っており、崩れた顔を白い布で覆っていた。また失明していたとも言われており、そのために政治の表舞台で活躍する機会が無かったとされる。

とあるが、どこからどこまでが史料に記載されていることで、どこからが推測なのかがわからない。「罪業を患っていた」と書いてある史料があるのだろうか?それとも「(罪業に因する病として忌み嫌われていた)癩病」を患っていたという推理にすぎないのか?

(一説には吉継が飲む際に顔から膿が茶碗に落ちたが、三成はその膿ごと茶を飲み干したとされる)

「顔から膿が茶碗に落ちた」という話は有名だけれど、それだけでは何の病気なのかわからないのではなかろうか?その他の事情を総合して「ハンセン病」あるいは「梅毒」などと推理されているのだろうけれど、その他の事情が何なのかさっぱりわからない。


あと「崩れた顔を白い布で覆っていた」というのも、画像検索すると、確かに「白い頭巾」をかぶった「伝大谷吉継像」が見つかるけれど、よく見かける包帯グルグル巻きではない。頭巾くらい上杉謙信だってかぶっているではないか。そういう史料が存在するのだろうか?

大谷吉継 - Google 検索


もっと確かな史料や、いつ誰がどういう理由でハンセン病だと推理したのかとかを知りたいのだが、さっぱりわからない。


世間は歴史ブームだとか言われているんだから、誰かそういうところを突っ込んで調べて欲しい。また、誰か知っているのなら教えてください。


(追記)
日本史人物列伝【大谷吉継】

天正14(1586)年、大坂城下で次々と人が斬殺されるという事件が起こる。

城下の人々はこれを吉継の仕業と噂した。
というのも吉継の業病は「人の生き血をすすることで治る」という
全くのデタラメが当時は広く信じられていたのである。
なかにはまことしやかに秀吉のもとへご注進に及ぶものもいたという。
だが秀吉はこれを一笑に付している。

出典はわからないけれど、吉継が「業病」だという史料はこれですかね。