言霊とミカン(その3)

まだ続く。
25時:言霊とミカン /宮崎 - 毎日jp(毎日新聞)


そもそもこれが実際にあったことだという確証が持てないのだが、あったという前提で、これの何が問題なのか?


インテリ揃いのはてなーの皆々様方におかれましては、もっぱら「疑似科学」問題として捉えられておいでのようでありますが、それ以前に「道徳」としてどうよ?って俺なんかは思うわけであります。

 対象はビンに入れた3個のミカン。約2カ月後、生徒から悪い意味の言葉を掛けられた方が腐り始めた。良い言葉の方は変化なし。発案した教諭、そして多くの生徒が「言葉が伝わったのでは」と思ったという。

つまりミカンの「死因」は、生徒が「悪い意味の言葉を掛け」、「言葉が伝わった」からであります。なんということでしょう!


この実験を行なったということは、そういう結果が出ることがあらかじめ予想されたということであります。たとえ生徒に「道徳」を教えるためとはいえ、人語を解するものに対して、実験と称して、そのように残酷なこととをするとは、一体どんな「道徳」なんだって話ですよ。自らが投げかけた言葉によって、ミカンが「死んだ」ことを覚った生徒の中には、それが一生のトラウマになる人がいるかもしれないじゃないですか。


そりゃミカンだから、人はそれを食べるんだけれど、だからといって残酷な仕打ちをしていいって話じゃないですよね。理科の授業でフナなカエルの解剖をやるかもしれないけれど、その際、それらの生き物を、おもちゃのように扱えば生徒を叱るのが教師ってものじゃないんですか?


「言葉が伝わる」という実験なら、「甘くなれ」という言葉をかけて調べたっていいじゃないですか。なんで「死ね」なんだって思いませんか?


実際は言葉が伝わるなんて「疑似科学」だからいいようなものの、本当に言葉が伝わるのだったら、一体これのどこが「道徳」なんだって、これは大変なことですよ。


そこは問題じゃないのかって話ですよね