網野史学

こうした網野の説が、実証的な歴史学の検証に耐えるのかどうかは不明である。人口の圧倒的多数が農民だったという事実は否定できない。

無縁・公界・楽 - 池田信夫 blog

これはよく誤解されていることだと思うんだけれど、有名な「日本は農業社会」だという常識を疑えという主張は、二つの重要な主張から成り立っていると思う。


一つは「百姓=農民」ではないということ。こちらはかなり知られている。そしてこれを否定する学者はおそらくいないと思う。論点は「百姓≠農民」だとしても、農民が圧倒的多数ではないのかということだろう。池田信夫氏も勿論それを知った上で「人口の圧倒的多数が農民だった」と書いているのだろう。


しかし、網野氏はもう一つ重要な指摘をしている。それは、本業の「農」よりも副業の「稼」の方が収入が多い人々が多数いたということ。こっちは上の主張と比較するとあまり知られていないと思われ。


この主張は実に現在の農家にも当てはまるように俺には見える。すなわち田畑を持って農耕に従事していれば、農業以外の収入の方が多くても農家とみなされるのである。「第二種兼業農家」、現在では「準主業農家」と呼ばれるらしい。
農家 - Wikipedia

(未来の歴史家は昭和・平成時代の農業人口について論争することになるかもしれない)


ところで、俺は網野善彦氏に対する批判についてあまり詳しくないのだが、たまに見かける批判は歴史学上の批判というよりも、(アメリカ的な意味での)リベラリズムリバタリアニズムの「自由」とは何かの見解の違いから生じているようにみえる。網野氏は左翼と見られ自称もしているようだけれど、氏の言う「自由」はリバタリアニズムの「自由」と重なる部分が多いと思う。そこで左翼からも氏は批判されるのだろう。