⇒「共同体主義」? - Living, Loving, Thinking
俺があの記事とその反応への違和感を表明しようとしても、そもそも俺に説得力のある説明をする能力が無いので誰も関心を示さない。その点sumita-m氏は知識豊富だし、信頼されてもいるので、その発言には説得力がある。
ただ、その他のナショナリズムと同様にナチズムが無機的なゲゼルシャフトとしてのstateではなく、有機的なゲマインシャフトとしてのnationを(過度に)強調したのも事実。そこから言えば、「コーポラティズム」に社会有機体論を重ねてみたくなる。「コーポラティズム」を(語源に遡って)直訳すれば身体主義になるのだから。
この点について、P・F・ドラッカーは、
通常、社会有機体説は、非経済的な不平等を正当化するために、諸々の階級はそれぞれの経済的な機能において同じように重要な存在であることを説くだけである。ところが、ファシズムの社会有機体説においては、経済的な不平等を相殺するために、非経済的な社会的価値、位置づけと役割を実際につくり出す。
(『イノベーターの条件』上田惇生翻訳 ダイヤモンド社)
と書いている。具体的には、農民は「民族の背骨」として特権を与えられていた。またファシスト市民軍、突撃隊、親衛隊などの準軍事組織は、経済的に恵まれない層の人間が命令し、恵まれた層がそれに従うという生活場面を与え、また党の「指導者養成所」に金持ちの子供は入れなかったという。
なお、
「民族一丸となって強力な共同体を築いていこう」というのはナチズムの定義としてどうなのか。
という点については、俺はこの定義は妥当だと思う。ただし、通常の共同体は共通の利害がある人々が手段として共同体を築いているということになると思うけれど、ファシズムの語源が「束」である通り、団結することそれ自体が最重要の目的になっているということに特色があるということを理解していることを前提としての話だけれど。
ファシストは、たしかに特定の社会全体が、「戦友」的な仲間意識を基盤としたまとまりや秩序のようなものとして形成されることを理想としますが、それ以前に、ファシストの組織そのものが、戦友的な「絆」の感覚によって結ばれているのです。
話を戻すと、ファシストにとって重要なのは、自らが掲げる政治的な目標以上に、まず自分たちが団結していることそれ自体なのです。
政府と大企業の件については俺も前に
⇒「企業のオーナーは社会主義の中央計画当局と同じ問題に直面せずにいられる」のか? - 国家鮟鱇
という記事で疑問を書いた。
※ファシズムについて最近書いたもの
⇒ナチスの「脱経済的政策」 - 国家鮟鱇
⇒ファシズムが左翼に分類されるのはファシズムが国家社会主義と呼ばれるからではない - 国家鮟鱇
ついでに
⇒You and I - 国家鮟鱇