「邪馬台国」=「耶婆提国」

日本の古代史って割とフリーダムだから - 国家鮟鱇
のつづき。


たとえば、前にも書いたけれど「邪馬台国=ジャワ島説」とかどうよ?
邪馬台国=ジャワ島」説 - 国家鮟鱇


これが何でもっと注目されないのかと不思議に思う。


元々の内田吟風の唱えた『魏志倭人伝』の「邪馬台国」がジャワにあったという説なら、さすがに無理があると思う。だけど、それで終らせちゃっていいのだろうか?


邪馬台国」が「耶婆提国」との関係は本当に何もないのか?「邪馬台国」という名前が「耶婆提国」を元にしたのだと考えるならば、それほどクレイジーな説ともいえないんじゃないかと俺は思う。


後世の話だけれど、日本のことを「扶桑」って呼ぶ。なぜ「扶桑」と呼ぶのかといえば、この「扶桑」ってのは、伝説上の国であって、それが日本のことだと考えられたので、そう呼ばれることになったってことでしょう。
扶桑 - Wikipedia


それと同じことが「耶婆提国」についてだって言えるかもしれないですよね。古くから「耶婆提国」という伝説の国があるけれど、それがどこにあるのかはわからない。で、伝説の「耶婆提国」とはここのことだと主張して国の名前にしたのが「邪馬台国」だという可能性って、十分ありえると思うんだけれど、これって変ですか?


※「耶婆提国」は東晋時代の史料に見られるそうだから、邪馬台国より後のことではあるけれど、それ以前に無かったとは限らないでしょう。『ラーマーヤナ』に「ヤヴァドヴィーパ」という記述があるし、ここから発展していった可能性は十分あると思う。
金銀島/【第1章】金銀島伝説の黎明