迹見首赤檮 (その8)

迹見首赤檮(その7)の続き。


物部守屋を射落としたとされる迹見首赤檮(とみのおびといちい)の伝説は「太陽を射る話」に源流がある。


日本神話には他に「太陽を射る話」は無いだろうか?そのものずばりは無いけれど、もしかしたら類話ではないかと思うものはある。

日本武尊信濃に進まれた。(中略)山の神は皇子を苦しめようと、白い鹿になって皇子の前に立った。皇子は怪しんで一箇蒜で、白い鹿をはじかれた。それが眼に当って鹿は死んだ。ところが皇子は急に道を失って、出るところが分らなくなった。そのとき白い犬がやってきて、皇子を導くようにした。そして美濃に出ることができた。
(『全現代語訳日本書紀宇治谷孟 講談社

日本武尊進入信濃。是国也山高谷幽。翠嶺万重。人倚杖難升。巖嶮磴紆。長峰数千。馬頓轡而不進。然日本武尊披煙凌霧、遥径大山。既逮于峰而飢之。食於山中。山神令苦王。以化白鹿立於王前。王異之。以一箇蒜弾白鹿。則中眼而殺之。爰王忽失道。不知所出。時白狗自来。有導王之状。随狗而行之。得出美濃。

日本書紀(朝日新聞社本)(J−TEXTS 日本文学電子図書館


古事記』ではこの部分は少し異なっている。

足柄山の坂の下に到着して乾飯を召し上がっているところに、足柄峠の神が白い鹿になって、やって来て立った。そこで、すぐに食べ残された蒜の片端を、待ちうけて鹿に投げつけられると、その目にあたって、鹿は打ち殺された。
古事記(中)全訳注』次田真幸 講談社

これは「片目の神」の伝説に分類されるべきものかもしれない。けれども先に書いたように、太陽を射た羿に河伯の左目を射抜いたという伝説があることを考えると全く無関係というわけでも無さそう(なお河伯ヤマトタケルも製鉄に関係すると思われ)。


そして何よりも注目したいのは、これを境にヤマトタケルは没落の一途を辿り、遂に死んでしまうことだ(尾張に帰るというワンクッションがあるけれど)。


なお『日本書紀』の伝説の地とされるのは長野県阿智村で、「昼神温泉」が有名。「昼神」の由来はヤマトタケル伝説にちなむという説と、阿智神社の祭神「天思兼命(アメノオモイカネノミコト)」にちなむという説がある。「天思兼命」は天の岩戸伝説に登場する神。
オモイカネ - Wikipedia


また阿智には「日招き伝説」は無いようだけれど「園原伏屋長者伝説」「朝日松伝説」ならある。また「日の入山」という山があり、個人的には日招き伝説の名残ではないかとか「日を射る山」だったのではないかとか、さらに「日射る=蒜=昼」ではないかとか、いろいろ連想するのである。


あと、白い鹿はアルビノであると推測され、目の色は太陽のように赤かっただろうと思う。ヤマタノオロチの目が赤ホオズキのようにであるとか、サルタヒコの目が同じく赤ホオズキのように照り輝いていたというのもまた太陽と関係があるのではないかと個人的は思っている。もしかしたら「赤と白」というのはアルビノが元になっているのもしれないとも思う(「血と乳」のことかもしれないが)。


(つづく)