ヤマトタケル伝説の本来の形

『「大王」≒「天皇」なのか』の続きを書こうと思いつつ早や半月。しばらくお待ちください…


今日の石井公成先生の記事より
「太子」という呼称をめぐる問題: 本間満「景行記の三太子伝承について」 - 聖徳太子研究の最前線

 『古事記』景行記は実際にはほとんど倭建命の伝承であって、歌謡が中心になっており、東征を命じられると父は自分を死なせたいのかと歎くなど率直な心情が描かれているのに対し、『日本書紀』景行紀では日本武尊と記され、意気地ない兄に代わって進んで東征を申し出て天皇に賞賛されており、以後も天皇に忠実であったことが強調されています。

 『日本書紀』では作為が強まっているようで、本間氏が着目するのは、

古事記』のヤマトタケルは父の景行天皇に恐れられ遠ざけられる存在であるのに対し『日本書紀』のヤマトタケルは父に忠実な存在。現代的な感覚からすると前者の記事は「醜聞」で、後者の記事は「美談」であるかのように思われ、故に前者が本来の伝説に忠実なものであり、後者はそれを改竄したものだと考える傾向にあるように思われる。


実のところ少し前まで俺もそう考えていた。
本当は恐ろしい「ヘンゼルとグレーテル」(3)


ただ、よく考えてみると、この構図は「桃太郎」にもあてはまる。

桃太郎の成長過程については、お爺さんとお婆さんの期待通り働き者に育ったとする場合や、三年寝太郎のように力持ちで大きな体に育つが怠け者で寝てばかりいるとする場合がある。

成長した桃太郎は、鬼ヶ島の鬼が人々を苦しめていることを理由に鬼退治に旅立つが、その決意を自発的に行う場合と、村人や殿などに言われて消極的に行う場合とがある。

桃太郎 - Wikipedia


一般的に知られているのは『書紀』のヤマトタケルのような桃太郎だが、『古事記』型の桃太郎伝説もある。鬼退治を「消極的に行う」というのは、鬼退治自体が目的ではなくて、それを名目に桃太郎を追い出すということであり、鬼退治が出来れば儲けもの、失敗して殺されてもそれはそれで好都合という話だ。


こちらも、厄介者の桃太郎が本来の話であり、孝行者の桃太郎は改竄されたものだとすることも可能かもしれない。しかし桃太郎伝説ヤマトタケル伝説から派生したとはちょっと考えられず、世界的に流布する英雄伝説の影響で別個に出来上がったように思われる。


その場合でも、どちらも後になって改竄されたと考えることもできるかもしれないけれど、両者とも古くから存在する伝説であって、どちらが「本来の形」などと言えるものではないという可能性も大いにあるように今では思ってる。