信長はなぜ三郎なのか(その8)

☆信長の蛇退治(4)
猪と蛇といえば、気になるのがヤマトタケルの伝説。


日本書紀景行天皇

於是聞近江胆吹山有荒神。即解剣置於宮簀媛家。而徒行之。至胆吹山、山神化大蛇当道。爰日本武尊不知主神化蛇之謂。是大蛇必荒神之使也。既得殺主神。其使者豈足求乎。因跨蛇猶行。時山神之興雲零氷。峰霧谷〓。無復可行之路。乃捷遑不知其所跋渉。然凌霧強行。方僅得出。猶失意如酔。因居山下之泉側。乃飲其水而醒之。故号其泉曰居醒泉也。日本武尊於是始有痛身。

《巻首》日本書紀 巻第七(J―TEXTS 日本文学電子図書館

そこで近江の五十葺山(伊吹山)に、荒ぶる神のあることを聞いて、剣をはずして宮簀媛の家におき、徒歩で行かれた。胆吹山にいくと、山の神は大蛇になって道を塞いだ。日本武尊は主神(神の正体)が蛇になったことを知らないで、「この大蛇はきっと神の使いなんだろう。主神を殺すことができれば、この使いは問題でない」といわれた。蛇をふみこえてなお進まれた。このとき山の神は雲をおこして雹を降らせた。霧は峯にかかり、谷は暗くて、行くべき道がなかった。さまよって歩くところが分らなくなった。霧をついて強行すると、どうにか出ることができた。しかし正気を失い酔ったようであった。それで山の下の泉に休んで、そこの水を飲むとやっと気持ちが醒めた。それでその泉を居醒井という。日本武尊はここで始めて病気になられた。
(『全現代語訳 日本書紀 宇治谷孟 講談社

伊吹山の神は「大蛇」になり、「雲をおこして雹を降らせた」とある。


ところが、『古事記』では、

於是詔。茲山神者。徒手直取而。騰其山之時。白猪逢于山邊。其大如牛。爾爲言擧而詔。是化白猪者。其神之使者。雖今不殺。還時將殺而。騰坐。於是零大氷雨。打惑倭建命。〈 此化白猪者。非其神之使者。當其神之正身。因言擧見惑也。 〉故還下坐之。到玉倉部之清泉以息坐之時。御心稍寤。故號其清泉。謂居寤清泉也。

古事記(校定古事記)(J―TEXTS 日本文学電子図書館)
とある。


ほぼ同じ話だけれど、『日本書紀』では「大蛇」なのに、『古事記』では「白猪」になっている。


ちなみにこの時、ヤマトタケル草薙剣を熱田の宮簀媛のところに置いたまま伊吹山に出かけたのであった。草薙剣ヤマタノオロチの尾から出てきたもので、クサナギの「ナギ」は「ナーガ」つまり蛇だろう。
天叢雲剣 - Wikipedia


「大蛇(伊吹山の神)対大蛇(草薙剣)」もしくは「白猪(伊吹山の神)対大蛇(草薙剣)」という構図があって、ヤマトタケル草薙剣(大蛇)を持たずに来たので負けたという話なのだろうか。


(信長への刺客、井口太郎左衛門は明らかに蛇の属性であって猪の属性ではない。「井の口」が蛇なのか猪なのかという混乱は大昔からあったのかもしれないなんて思ったりする)