稲むらの火

去年の年末に「JIN-仁-」の再放送をやっていた。俺は初見だったんだけど面白かった。


ところで、ドラマの中に浜口儀兵衛が登場する。2ちゃんねるの実況見てたらヤマサ!ヤマサ!の大合唱だったよ。
濱口梧陵 - Wikipedia


さて、浜口儀兵衛といえば「稲むらの火」。

稲むらの火(いなむらのひ)は、1854年安政元年)の安政南海地震津波に際して紀伊国広村(現在の和歌山県広川町)で起きた故事をもとにした物語。地震後の津波への警戒と早期避難の重要性、人命救助のための犠牲的精神の発揮を説く。小泉八雲の英語による作品を中井常蔵が翻訳・再話し、かつて国定国語教科書に掲載されていた。主人公・五兵衛のモデルは濱口儀兵衛(梧陵)である。

稲むらの火 - Wikipedia


昔の人は小学校の教科書で習ったらしいが、俺は「洪水伝説」についてネットで調べているときに知った。どうして検索に引っかかったかというと「洪水 長者」で検索していたから。なぜ「洪水 長者」で検索したかというと、洪水伝説には長者が良く登場するから。中には前に紹介した「湖山長者」のように日招き伝説と一緒になっているものもある。


稲むらの火」も小泉八雲の原作では「浜口五兵衛」は長者ということになっている。


ところがこれは事実と違う。

農村の高台に住む年老いた村長とされている五兵衛に対して、史実の儀兵衛は指導的な商人であったがまだ30代で、その家は町中にあった。
ウィキペディア

これは小泉八雲の誤解にもとづくもの」と考えられているようだけれども、「洪水 長者」の検索で「稲むらの火」にたどり着いた俺としては、本当に誤解なんだろうかという疑問がある。


あと気になるのは、洪水伝説において仏像や神像などを赤く塗るという話が多数あるということ。稲むらの火もまた赤々と燃えていたのであり、ここに共通点がある。


また、洪水伝説では洪水の予言を信じないで多くの人が死ぬが、こちらは信じたおかげで助かる。ただし、

また、儀兵衛が火を付けたのは津波を予知してではなく、津波が来襲してからであり、暗闇の中で村人に安全な避難路を示すためであった。

と、これも事実と異なるのであり、洪水伝説と正反対ではあるとはいえ類似しているように思える。


稲むらの火」は事実である。事実であるけれども、伝説的要素を含んでいる。小泉八雲は洪水伝説を意識していた可能性はないだろうか?あるいは既に浜口儀兵衛の逸話が伝説化していて、それを八雲が聞き取って文章化したのではないだろうか?という疑問を俺は持ってしまうのである。



さらに気になっているのは濱口梧陵の「梧陵」だ。「五郎」が「御霊」に通じるという話は何回かしたけれど、「梧陵」の場合はまんま「ごりょう」だ。浜口儀兵衛がなぜ「梧陵」と名乗ったのかは大いなる謎だ(そう思うのは俺だけかもしれないけれど)。



小泉八雲の原作のタイトルは「A Living God(生ける神)」
小泉八雲の「生ける神」

やがて彼等は村を復興させると,五兵衛の御霊を祀る神社を建立し、その正面に金文字で彼の名前を書いた小さな額を掲げた。村人はその神社で祈りや供物と共に彼への礼讃を捧げるのだった。彼自身がこの事について一体どの様に感じていたか,私には判らない。

「五兵衛の御霊を祀る神社を建立し」とあることに注目すべきだろう。だが、これも事実と異なるようだ。

村民が彼を尊崇し、浜口大明神として祭り上げようとしたが、彼は堅く固辞した。

広川町が産んだ世界的偉人、浜口梧陵伝


小泉八雲の著作意図についての解説

つまり、稲むら焼却事件のあった後、五兵衛は「浜口大明神」として祀られ、五兵衛神社が建立されたという事実が披歴されるのだ。実は、ハーンがこのエッセイで一番書きたかったのは、このことだった。だからこそ、その前置きとして、第一章で西欧とは異なった日本の神のあり方について述べておいたのである。ハーンの文章のタイトルが A Living God となっているのも、それを証拠立てている。

稲むらの火 -著作集-