金柑頭

「語源由来辞典」より。

明智光秀織田信長に「金柑頭」と呼ばれていたことから、この語が生まれたとも言われるが、明智光秀のあだ名となったのは、司馬遼太郎の小説に由来し、そこから「明智光秀=ハゲ頭」という図式ができたのであり、語源と関連する話ではない。

金柑頭(きんかあたま) - 語源由来辞典


「金柑頭」の語源が明智光秀ではないというのは、その通りなんだろうけれど、これだと光秀が「金柑頭」と呼ばれるのは司馬遼太郎の小説に由来するみたいだ(「光秀=ハゲ頭」が小説に由来すると言いたいのだろうけれど)。実際誤解しているらしき人もいる。
禿げネズミ、キンカン頭について。 - Yahoo!知恵袋


しかし、これは『義残後覚』に載っている話だ。

 第四は庚申待の夜の一件である。信長は柴田勝家以下二十人ばかりで終夜酒宴乱舞した。そのとき光秀は小用にたった。それを信長はどう思ったか鑓を取って出かけて行き、いかにきんかんあたま、なぜ座敷を立ったか、その過怠には細首を透かすぞと、うつむいている光秀の首にそれを当てた。光秀はいろいろ弁解したが、信長はなかなか赦さない。結局は免されたが、そして信長は座興の過ぎる人だが、光秀はそこに常日頃われをなきものにしようという信長の本心が現われていると取って、謀叛の時機を窺っていたというのである。これは俗書『義残後覚』の説である。

明智光秀』(高柳光寿 吉川弘文館

高柳氏はこれを「要するに俗書の作り話で勿論取るに足らないものである」としている。


ところで、『秀吉神話をくつがえす』(藤田達生 講談社)には、

家臣にあだ名をつけることが得意な主君・信長は、明智光秀をその頭の形から「金柑頭」と名づけ、秀吉のことは「禿鼠」と呼んだが、「猿」と呼んだ確証はないのである。

とある。「はげねずみ」については文書が残ってるから確実だけれど、「金柑頭」はそうではない。猿と呼んだ確証はないという話に、確証のない「金柑頭」を持ってくるのは不適切でしょう。