征夷大将軍の解任(その2)

結局のところ征夷大将軍を解任する手続きがどのようになされていたのかが皆目わからない。


俺は歴史のド素人であるから、実際はそんなことは研究者の間では周知の事実なのかもしれない。でも歴史にちょっと詳しい程度の人にとっての常識だとも思えない。しかし、それに関する解説は見つけることができない。実際のことろ研究者は解明済みなのか謎なのかすらわからない(なんてことはこれに限らずしょっちゅうあることだけど…)


で、なんとなくだけど、将軍の解任は別にこれといった手続きをしなくても、新しい将軍が任命されれば自動的に前任者が解任されたことになるんじゃなかろうかなんて考えたりする。


すると足利義昭は後任者がいないから、自動的に解任されることもないわけで、解任するためには当人が自発的に辞職する(結局こうなった)か、朝廷が不適格事由を提示してクビにしなければならないということで、それがなかったから義昭は将軍のままだったということじゃなかろうか?


では、なぜクビにしなかったのかというと、織田信長の意向によるものか、それとも朝廷のしたたかな計算なのか、あるいはそれ以外の理由によるものなのかということになる。


ま、よくわからないんだけど。