就近般信長恣儀相積、不慮城郭取退候。然此節甲州令和談、天下静謐馳走頼入候。為其差越一色中務大輔。猶藤長可申可申候也。
三月廿日 御判
徳川三河守どのへ
就近般信長恣儀相積、不慮城都取退候、然此節甲州令一味、天下静謐馳走頼入候、為其差越一色中務大輔、猶藤長可申越候也、
三月廿日
(義昭花押)
水野下野守とのへ
「不慮城郭取退候」と「不慮城都取退候」。「然此節甲州令和談」と「然此節甲州令一味」。「徳川三河守どのへ」と「水野下野守とのへ」が違うのはなぜ?
(追記)家康と水野下野守(信元)に同時に御内書が発給されたそうだ。
ただ、これが本当に信長と戦うことを依頼するものなのかは疑問。