本来の「皇祖神」はアマテラスでもタカミムスヒでもない

タカミムスヒからアマテラスへという戦後知識人の妄想
は人気ブログへの言及でブログ主さんが反応したこともあり反響が多少あった。


タイトルにもあるように俺は「タカミムスヒからアマテラスへ」というのは妄想だと思っている。ところが、その後俺が書いていることも「タカミムスヒからアマテラスへ」だ。だもんで同じじゃないかと誤解される向きもあるかと思われるがそうではない(俺の書き方が悪かったんだが)。


学者が言っているのは「本来の皇祖神はタカミムスヒだったのだがアマテラスに置き換わった(置き換えた)」ということ。俺が言っているのは「『日本書紀』での皇祖神はタカミムスヒだが後にアマテラスが皇祖神とみなされるようになった」ということ。


俺はタカミムスヒが本来の皇祖神だったとは考えていないのであります。


じゃあ本来の皇祖神は何だったと俺が考えているのかというのは書きだすとえらい長いことになるのでどうしようかと思案中。予定では服部英雄氏の秀吉論批判を書くつもりであったところ、いざ書き出すと大石内蔵助伊藤仁斎について興味が沸いてきたりして脱線中の上に「天孫降臨」にも興味が沸いてきたという状態。でも考えて見ればその前に邪馬台国について投げっぱなしだし、さらにその前には「天孫降臨」が投げっぱなしだったりする。トホホ…