アマテラスとタカミムスヒ(10) ヒルコの存在感が薄い理由(その3)

太陽神ヒルコの存在感が薄い理由、それは

世界に太陽は一つしかない

という単純な理由によるものだ。


記紀神話は「日本」の神話だ。国土の名は「葦原中国」とか「豊葦原千五百秋瑞穂国」などであり「日本」というのはその地を支配する王朝の名であり、記紀はその「日本」の成り立ちを記したものだ。


したがって「日本」に関わりのあることの他は範疇外なのだ。


イザナキ・イザナミが「国土」を創ったことは神話に記されている。しかし中国大陸がどのようにして生成したのかについては一切語っていない。「日本神話」には関係のないことだからだ。


太陽も同じことだ。太陽が恩恵を与えるのは日本だけではない。太陽は日本特有のものではなく普遍的なものである。「日本神話」は「日本」固有のことについて記すべきである。したがって太陽がイザナキ・イザナミから産まれたという話は「日本神話」に属しても、それ以外は「日本神話」で語るべきことではないのだ。


(なお天岩戸伝説にヒルコの名は出てこないがアマテラスが岩窟に籠ることによって太陽であるヒルコも隠れたのだと解釈すべきである。この出来事は「日本」だけではなく「全世界」に影響を及ぼしたと考えるべきである。そしてそこにアマテラスとは何かという問題の重要なヒントが隠されているのである)


※ ところで「世界に太陽は一つしかない」という事実が必ずしも「神話」の太陽の存在感を薄くさせるという影響を与えるとは限らない。全く逆の方向に行く可能性も可能性としては考えられよう。すなわち太陽が普遍的な存在である故に「神話」も特定の地域だけではなく全世界に普遍的に通用するという考え方だってありえるわけだ。つまりユダヤ教キリスト教イスラム教のように発展する可能性だってあったということだ。そうならなかったのは地理的・歴史的な要因によるものだろう。