岩戸隠れの闇はどれほどの闇だったのか?

ふと思った疑問。


俺はアマテラスは太陽ではなく「太陽のパートナー」だと思っていることは既にさんざん書いているけれど、それはともかくアマテラスが天岩戸に籠ったことによって太陽が隠れたということには異論はない。『日本書紀』本文には

閉磐戸而幽居焉。故六合之内常闇、而不知昼夜之相代。

とある。俺はこれをずっと光の全く無い世界になったと考えていた。


でも良く考えてみれば全く光が無ければ全く何も見えないのである。


すると『古事記』でアメノウズメがおっぱい出してさらに陰部まで出したのを見て神々が笑ったというけれど、そんなものが見えるはずがないのである。


所詮事実じゃなくて「神話」なんだから「こまけぇこたぁいいんだよ!!」ということだろうか?


でもよくよく考えれば太陽がない世界は光の全く無い世界というわけじゃない。「星明り」があるではないか。


また、さらに良く考えてみれば、イザナキ・イザナミは島も作ったし山川草木も作ったし、次は「天下の主者」を生もうとして「日神」を生んだけれど地上に長く留めておくのは良くないと天に送ったとある。すなわち当初の予定では太陽など生むつもりはなかったのである。既に「天下」は完成していたのである。太陽など必要なかったのである。天上界も別に太陽を作ってくれと希望したわけでもないのである。


だが、ここでさらなる疑問が出てくる。太陽が必要ないのだとしたら、なぜ神々はアマテラスを岩戸から出そうとしたのか?


「太陽は必要なかったとはいっても、あれば便利だし今更太陽の無い生活など考えられない」ということなのか?そうかもしれない。


ただし『日本書紀』には「太陽が無くなって困った」という描写はない。「一書第二」に「諸神憂之」とあるのみである。「憂えた」では神々の生活に支障があったとは限らない。単にひきこもってるのは不健全だという親切心から外に出そうとしたのかもしれないではないか。


一方、『古事記』によると、

ここに万の神の声はさ蝿なす満ち、万の妖悉に発りき《そしてあらゆる邪神の騒ぐ声は、夏の蝿のように世界に満ち、あらゆる禍がいっせいに発生した》(『古事記(上)全訳注』次田真幸 講談社

とある。「万の神」がどうして「邪神」と訳されるのか俺にはちょっとわかりかねるけれど、良くない状態になったことは疑いないだろう。ただし一般に想像するような太陽が無くなって物が見えなくなるとか、植物が成長しなくなるとかいったことは書いてない。


このあたりは「こまけぇこたぁいいんだよ!!」ではなくて、もっと真剣に考えるべきことだと思う。