許せないトンデモ説

上に書いたことに関連して俺にはどうしても許せないトンデモ説がある。それは「明治天皇すり替え説」だ。目にしたことがある人は多いはずだ。何が許せないってトンデモだから許せないのではない。この説が広まった経緯が許せないのである。この説は古くからあるらしいが、現在広まっている説は鹿島磤という人が主張したものがベースになっているらしい。「らしい」ばっかりだが、正直な話まじめに調べて見ようという気が起きないのである。だが俺は鹿島昇を批判しようとしているのではない。


この説がこれほど広まったのは、ネットの日本史関係の掲示板などに、この説を書いたコピペが貼りまくられたからである(1人あるいは多くても数人の仕業だろう)。今はそれほどでもないが俺がネットを始めた2002年ごろから数年は見境無く貼りまくられていて、うざいったらありゃしなかった。


この説が広まっているといっても、支持している人は極めて少数に過ぎないに決まってる。しかしトンデモ説としてでも広く認知されているということに腹が立つのだ。前に歴史学者ではないがある学者(名前忘れた)が「明治天皇がすり替えられたという説もある」と書いているのを見て呆然としたことがある。その学者が支持していたわけではない。しかしこれは異端の説としても取り上げる価値のない代物だ。「天海が明智光秀だという説がある」とか「源義経が大陸に渡りジンギスカンになったという説がある」ならまだ許せる。しかしこれは許せない。


こんなものがトンデモ説としてであれ認知されることが許されるのであれば、俺だってそこら中にコピペ貼りまくりたい(人はそれを荒らし行為という)。だが、それはしてはいけないことだろう。