聖徳太子がいなかったという説に衝撃を受ける人

いや俺は大山誠一の聖徳太子架空説は典型的なトンデモ陰謀論だと思ってるんだけれど。それはそれとして。


上と似たような話なんだけれど「聖徳太子はいなかった」ということに衝撃を受けたかのような反応をする人がいる。


しかし俺はそれがピンとこない。大山氏の本を読む前の段階で俺が持った感情は単に「面白そうな話だな」というものであって、それ以上のものではなかった。本を読んだ後の感想は「何でこんな粗雑な陰謀論を学者でさえ支持しているのか」というもので、むしろこっちの方が衝撃だった。


可能性としては古代の歴史上の人物が実は存在しないというのは十分有りえることであって、大山説のようなものではなくて、ちゃんと説得力のあるものであれば支持することにやぶさかではない。


要するに知りたいのは真実であって、聖徳太子が実在しようと実在しまいとどっちだっていいのだ。


戦前の教育を受けた人の中には「聖人」の聖徳太子が実在しないということに衝撃を受ける人がいるのかもしれない。でも、戦後の教育を受けた人、俺と同世代か、年下の人にとって、聖徳太子って「教科書に出てくる有名人」「一万円札のモデル(というのも今は昔だが)」程度の認識じゃないかと思うので、実在しなかったからといって、それほど衝撃を受けることなのか?って思うのである。


聖徳太子信仰があるから、そういう宗教的環境に育った人が衝撃を受けている可能性もあるけれど、おそらくレアケースであろう。


てなわけで、本当は衝撃など受けていないのに、大げさに驚いているだけなんじゃないかと密かに思っているのであった。


一方「聖徳太子架空説」を主張する側において、「架空説」を受け入れないのは「聖徳太子が実在しないという事実を受け入れたくないからだ」みたいなことを言ってたりするわけだが、こっちも今時そんな理由で受け入れない人はいるとしても少数だろうと思う。そんな理由ではなくて説として欠点があるから受け入れない人が多数だろう(これが「神武天皇非実在説」だったら、それが学界の主流であるけれども、受け入れ難い人が多数いるというのは何となくわかるんだけれど、聖徳太子の場合はピンとこないのだ)。