「坊ちゃん」について

坊っちゃんを読む - extra innings
に刺激されて夏目漱石の『坊ちゃん』を青空文庫で読んだ。「田舎」についての言及に興味を惹かれたのである。そんで、小説の受け取り方というのは人それぞれであろうから、俺の感想を書いておく。
夏目漱石 坊っちゃん


まず「田舎」とはいうけれど、松山は伊予25万石の城下町だ。農村ではなく「地方都市」だ。それを「坊ちゃん」は田舎と言っている。「坊ちゃん」は江戸っ子で江戸っ子から見れば田舎だということだ。


「坊ちゃん」は都会っ子で田舎に偏見を持っている。というのが小説の設定だ。無論漱石は松山に中学教師として赴任しているから、そとときの経験が反映しているだろうし、嫌なこともあったのだろうけれど、これをもって夏目漱石が田舎を軽蔑しているとする単純にいうことはできない。漱石が田舎について言及しているものがあるのかもしれないが、俺は無知だから知らない。

こんな事を清にかいてやったら定めて驚く事だろう。箱根(はこね)の向うだから化物(ばけもの)が寄り合ってるんだと云うかも知れない。

日本の伝統的な地理感覚では逆だ。化物がいるのは江戸を含む「アズマ」だ。関東を蔑視する感覚は今でもある。漱石は知ってて書いたのではなかろうか。「江戸」対「田舎」は単純な「都会」対「地方都市」ではなく「江戸・東京を蔑んでいる誇りある地方城下町」に対する皮肉のようなものがあるのではなかろうか?


「坊ちゃん」が田舎を見下しているのは確かだが、それは必ずしも正しい認識から出たものではなく、東京以外は鎌倉に遠足に行ったことしかなく、新人教師で社会人1年生の「坊ちゃん」が単に世間知らずなだけであって、地方であろうと都会であろうと同じなのに「坊ちゃん」の偏見によって田舎の風習であるかのように決め付けられているようなところがあるようにはみえる。それは「田舎に偏見を持つ坊ちゃん」という設定のもとに意図的に書かれたものであろうと俺は思う。


「坊ちゃん」の田舎に対する評価として、唯一正しいのは「狭い」ということだろう。蕎麦や団子を食べたことなどが直ぐに知れ渡ってしまう。これは正しく田舎の特徴だろう。ただし、「坊ちゃん」は教師であって、当時の教師はただの公務員ではなく「名士」的存在であり、一般人とは違うということを頭に入れておかなければならないだろう。


また、田舎の醜悪さについてだが、その醜悪の代表的人物である「赤シャツ」は松山の人ではない。赤シャツの弟について

その癖渡(くせわた)りものだから、生れ付いての田舎者よりも人が悪(わ)るい。

と書いてある。さらに「野だいこ」は「坊ちゃん」と同じ江戸っ子だ。一方、同士の「山嵐」は会津出身だ。(「清」の出身はわからないけれど元は由緒のある身で明治維新で零落したとあり「越後の笹飴」の話が出ているので越後長岡藩の士族だったんじゃなかろうか。なお「坊ちゃん」の家は元旗本なので「坊ちゃん」陣営は維新の敗者側ということになる)


さらに、「うらなり」君の送別会で山嵐

延岡は僻遠(へきえん)の地で、当地に比べたら物質上の不便はあるだろう。が、聞くところによれば風俗のすこぶる淳朴(じゅんぼく)な所で、職員生徒ことごとく上代樸直(じょうだいぼくちょく)の気風を帯びているそうである。心にもないお世辞を振(ふ)り蒔(ま)いたり、美しい顔をして君子を陥(おとしい)れたりするハイカラ野郎は一人もないと信ずるからして、君のごとき温良篤厚(とっこう)の士は必ずその地方一般の歓迎(かんげい)を受けられるに相違(そうい)ない。

と言わせている。


これらを見ても「坊ちゃん」は田舎に偏見を持った人間として描かれているけれども、漱石が単純に田舎を見下しているのではないと思われる。