去年の今頃

ああ江川紹子 - 国家鮟鱇
という記事を書いた。


PC遠隔操作事件に関して俺は容疑者は限りなくクロに近いと思っていたけれど、この時点で決め付けることはできなかった。もし容疑者があのようなヘマをしなければ無罪になる可能性も十分あったと思う。


江川紹子氏は容疑者を擁護していた。江川氏は容疑者をシロだと断定するようなものではなかったけれど、かなりシロ説に傾いているように見え、中立的であったようには見えなかったけれど、それでもあの段階ではクロと断定するほどの証拠が揃っていたわけではなく、その問題点を指摘する人間がいることは必要であったとも思う(ただし繰り返すけれど江川氏は中立的ではなかったようにみえたが)。


容疑者がへまして自白した後に江川氏は釈明の記事で
PC遠隔操作事件を巡る自己検証(江川 紹子) - 個人 - Yahoo!ニュース

「怪しい」人の人権を守る

と書いている。このこと自体は全くの正論であって、文句を言うことは何もない。


ところが江川氏は麻生発言に対してはそれを適用しなかった


まったくこれは二枚舌にみえる。なぜPC遠隔操作事件の容疑者に対してしたことと同じことを麻生氏に対してはしなかったのだろうか?


1つ考えられるのは麻生氏は「怪しい人」ではなくて「真っ黒な人」だと江川氏が考えていたのではないかということだ。「怪しい人」の場合は彼の人権を守るために全力を尽くす、しかし「真っ黒な人」に対してはそれを適用しない。それなら辻褄が合う。


しかし。いうまでもないことだが、その「怪しい人」と「真っ黒な人」の見分けをどうするのだという問題がある。江川氏にとってはK容疑者は「怪しい人」で麻生氏は「真っ黒な人」だったとしても、他の人にとってはそうではない。俺にとっては麻生発言はナチスを肯定したものではない可能性が非常に高いものに見えたのであり、麻生氏は決して「真っ黒な人」ではない。


またある人にとってはK容疑者は「真っ黒な人」に見えていただろう。K容疑者は実際真犯人だったわけだが、冤罪が確定した事件においてもその容疑者が「真っ黒な人」だと思っていた人はいるだろう。まさにそれが冤罪を発生させる要因である。


「怪しい人の人権を守る」と主張している人でさえ、このようなことをしてしまうところに問題の深刻さがある



あれから1年、STAP論文騒動でもまた同じことが繰り返されている。


小保方、笹井氏が「真っ黒な人」だと決め付ける、あるいは決め付けないまでもクロであることを強く示唆する主張する人は、政治的な主張の左右を問わず数多い。それらは「怪しい人の人権を守る」という点が全く欠けているという点で強く批判されるべきものだと俺は考えているが、特に失望させるのが、日頃から人権問題について語ることの多い人々、すなわち「左翼」の中に、この件に関しては「怪しい人の人権を守る」ということを適用しない人がいることだ。さらに推測にしかすぎないものをもって決め付けるだけでなく糾弾までしているのだ。これはもう暴走としかいいようがない。


おそらく彼らには、江川氏がそうであったように、自分が二枚舌だという自覚がないのだろう。「怪しい人の人権」は守るけれども、彼らは「怪しくない真っ黒の人間」であるから、怪しい人の人権を守るのと同じことは適用しなくても構わないと考えているのだろう。


しかし、現時点においては小保方氏や笹井氏は「疑惑の人」ではあるけれども、「真っ黒な人」では決してないのであり、「彼らが真っ黒な人だと確信している人が一部にいる」というだけなのである。