煬帝はなぜ「ようだい」なのか?

これ興味深い。
煬帝はなぜ「ようだい」と読むのか。 - 枕流亭ブログ


そもそも煬帝を「ようだい」と読んだことが確認できる史料というのは何なんだろうか?検索してみたけどわからない。実は古代には「ようだい」と読んでいなかったりして。


ところでふと思ったんだけれど、「東海林」と書いて「しょうじ」と読む。もちろん漢字をいくら見つめていてもそうは読めない。「しょうじ」と読むのは「荘司」「庄司」から来ていると言われる。


実は煬帝を「ようだい」と読んだのではなくて、別の「ようだい」があって、いつのまにかそれが煬帝の読みになったとかだったりして。隋の皇室は楊氏で煬帝の父は楊堅

楊堅の長男の楊勇が皇太子に立てられていたが、独孤皇后や楊素らの画策で廃嫡され、次男の楊広(後の煬帝)が代わって太子に立てられた。

楊堅 - Wikipedia


煬帝は楊兄弟の弟。つまり「楊弟」。「楊」は呉音で「ヨウ」、「弟」は「ダイ」…


単なる思い付き。