山本弘氏の「近頃はやりのお手軽・ニセ歴史」について

山本弘のSF秘密基地BLOG:近頃はやりのお手軽・ニセ歴史


評価できるところと評価できないところがある。


評価できるところ。「ニセ歴史」という呼称。俺は江戸しぐさを「創られた伝統」と呼ぶのは非常に抵抗がある。
江戸しぐさは「創られた伝統」なのか? - 国家鮟鱇
伝統というからには大昔からかはともかくそれなりに続いてきたという事実がなければならないでしょう。江戸しぐさにはそんな要素がないのだから「伝統」という文字を使うべきではないと思う。ただ「ニセ歴史」という呼称は「ニセ科学」を連想させるので、深く考えれば「科学を装った」に対応させれば「歴史を装った」になってしまって、ちょっと意味不明になるんだけれど、そこは別物ということにしとくべきでしょうね。


評価が微妙なところ。「少年犯罪は凶悪化している」 。根拠はあるの?と言われれば、ちゃんとした根拠を提示しているものはないのではないかと思う。ただ、それを否定するのに絶対数が減っているというだけでは乱暴な話ではないかとも思う。世の中は変化しており単純に比較することはできないのではないか?たとえば科学の発達していない時代に幽霊を信じるのと現代に幽霊を信じるのとは違う。つい最近のことでも「心霊写真を信じる」という意味はアナログ時代とデジタル時代ではかなり変化する。「少年犯罪は凶悪化している」と感じている人は何も極右の人だけではない。そこにはそう感じるだけの理由があるはずだ。本来それを考慮して緻密な説明をすべきは「凶悪化している」と主張している側であるが、だからといって否定する方が雑な否定をするのも問題があると思う。


ところで、山本氏は「近頃はやりのお手軽・ニセ歴史」と最近の傾向として語っているわけだが、はたしてそれが最近の傾向なのかといえば「昔からあったではないか」という反論も可能ではないだろうか?すぐに思いつくのは「小説などの創作物を史実と信じて歴史論を主張する」ということ。よくやり玉に上がるのは「司馬遼太郎の小説を信じて云々」だが、それ以外にもいっぱいあるでしょう。


最近話題になった数例を取り上げて「最近の傾向」などというのは「少年犯罪は凶悪化している」と相似形なのではないかと思う次第。大体少年犯罪が凶悪化しているなんて話はずいぶん前から言われてたことであって、その中には「昔は良かった」型のものもあるんであって、最近のことだとは思えなのである。



評価できないところ

 しかも、日本会議とか産経新聞とか、影響力のある組織やメディアが、こうしたニセ歴史を擁護しているという事実。

右派系とされるところが、山本氏言うところの「ニセ歴史」に関与しているのは紛れもない事実。しかしそれじゃリベラル系はそんなことやってないのかといえば、全くそんなことはない。

暮らしうるおう江戸しぐさ

暮らしうるおう江戸しぐさ

『暮らしうるおう江戸しぐさ』は朝日新聞出版の書籍である。説明には

朝日新聞夕刊マリオンで好評連載の単行本化。

とある。発売日は2007/7/6。当時何があったかといえば、リベラルが江戸時代を礼賛していたのである(今も続いているかもしれないが)。何で江戸時代を礼賛したのかというと、明治維新以降の日本を批判するためだというのが俺の見立て。明治新政府江戸幕府を否定するために秀吉を英雄にしたのと同じ。過剰な江戸時代礼賛がリベラルの側から発信されていたのである。江戸しぐさもその潮流の中でリベラルの目に止まったのであろう。


朝日新聞は去年江戸しぐさを否定したというけれど、それは原田実氏の「江戸しぐさの正体」の書評を朝日の記者ではない荻上チキ氏が書いているというだけの話である。asahi.comにはいまだに「江戸商人が作った実践哲学は現代人の生き方を支える。」という越川禮子氏を取り上げた記事が掲載されている。
asahi.com(朝日新聞社):就職・転職ニュース


なお朝日新聞には「東日流外三郡誌」を持ち上げたという過去もある。


ところで、前にも書いたけれど
トンデモ「研究」の見分け方・古代研究編

 しかも始末の悪いことに、古代中国や古代日本に関するトンデモ「研究」は、多くが何らかのイデオロギーに染まっています。ほとんどは「日本は偉い、中国憎い」という、国家に対するコンプレックスの解消を目的とするものですが、こうしたイデオロギーは経済の失敗で自信を失い、中国や韓国の台頭におびえている日本人の気分にとてもマッチしていますから、人々の支持を集めやすいといえます。


このように、この手の「ニセ歴史」はもっぱら右翼がやっているものであるかのように主張する人がインテリにいるのだが、全くの事実無根である。冷静に考えれば「大和朝廷に抹殺された古代王朝」みたいな話が(日本的な)右翼なわけないではないか。



事実は「右翼も左翼もやっている」だ。嘘を糾弾し事実を伝えようとする人がこれでは救いようがない。