日本の若者はビートルズを聞いてなかったという話は本当か?(3)

俺が何でこの問題に関心があるかといえば、もちろん「日本の若者はビートルズを聞いてなかった」ということに関心があるだけでなく、日本史全般の問題としてこのようなことは起こりうると思うから。特に今は「創られた伝統」論が流行しているからこの手の話は受け入れられやすい。それによって新たな歴史の視点が与えられることもあるけれど、歴史が歪められてしまう危険性もあるだろう。


さて「当時の若者はビートルズを聴いていなかったのか」というのが論点ならば、俺はそんなことはない、聴いていただろうと思う。


ただ「聴いていた」というのはどういうことか?というのが曲者だろう。定義によってずいぶんと幅が広いように思われる。


たとえば俺の世代は都はるみの「北の宿から」や千昌夫の「北国の春」を「聴いていた」。まあ全員が聴いていたとは言えないかもしれないけれど、テレビやラジオの歌番組で流れるので自然に耳に入ってくる。だからといって俺らの世代を「都はるみ世代」なんて呼ぶのは明らかにおかしい。演歌好きの人もいたかもしれないが圧倒的に少数派であったろう。あるいは80年代に入ると、あみんの「待つわ」が大ヒットした。知らない人はあまりいないだろう。こっちは演歌じゃない。だからといって「あみん世代」と呼ぶのもおかしい。


そんなの当然のことではあるけれど、ただ現在のことを考えれば、今はそもそも興味のないジャンルの音楽を聴く機会が乏しい。「聴いてない」というのは正真正銘どういう定義によっても「聴いてない」のである。ちなみに俺は紅白歌合戦を見て、昔のヒット曲を別にすればほぼ全曲を初めてそこで聴く。昔の年寄りはそんな感じの人が多かったと思われ、俺も年をとったからそうなったということもあるかもしれないけれど、それだけとも言えないのは俺の場合20年以上前からそんな感じだからである。


だから、そういう意味ではビートルズを「聴いてなかった」なんてことは、俺は当時の記憶はないけれど、まずありえないことのように思われる。


なお、

渋谷陽一が中学時代、ホームルームで「ビートルズは是か非か」という討論会をしたら、1対圧倒的多数で渋谷の負けという話をよくしてました。

いかにしてビートルズは日本人に受け入れられていったか その1|鳥肌音楽 Chicken Skin Music
ビートルズをそういう意味での「聴いてなかった」という話ではない。また、

橋幸夫ファンがビートルズ世代だと自称しはじめた

https://twitter.com/kiyoshikasai/status/257237520474062848
という話も「橋幸夫ファン」だったからといってビートルズを「聴いてなかった」とは限らないし、おそらく聴いていただろう。


もちろん、ここでいう「聴いていた」とは、たとえばビートルズの熱狂的なファンだったというような意味ではなく、文字通りの意味である。しかしビートルズを聞いていなかった」と書かれると、文字通りの意味で受け取る人は確実に出てくる。そしてそれが拡散して「歴史」が歪められることになりかねない。それは瑣末なことではなくかなり重要なことである。


※ もちろん繰り返しになるけれど、俺は当時の記憶がない。だから本当に若者がビートルズを「聴いていた」のか自信はない。常識的に考えれば聴いていただろうと思う。まずそこをはっきりさせてから、「聴いていたけれど熱狂的には聴いていなかった」とかいった問題を論じるべきであろう。


※ なお「聴いている」の定義をさらに広げれば、現在の若者の大半はブライアン・アダムスを「聴いている」はずだ。

しかし、さすがにCMで流れている曲は「聴いている」に入れるべきではないだろうとは思う。最低でもアーディスト名がわかっている場合を「聴いている」としたい。