「解釈」についてとても敏感になっている今日此の頃
⇒「戦争を知らない子供たち」という曲があったけど………: 極東ブログ
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歌詞を振り返って、現代から見て興味深いのは、二番かもしれない。「若すぎるからと許されないなら」というのは、なにが禁止されていたのだろうか? 当時の大人はなにを禁止していたのだろう?
一つは継続する句「髪の毛が長いと許されないなら」である。つまり、ロングヘアーのことである。男子が長い髪をするのは許されないという時代であった。
finalventさんは「若すぎるからと許されないなら」の「許されない」とはロングヘアーが許されないということだ、とおっしゃっているんですかね?何度読み返しても俺にはそうとしか読み取れないんですけどね(「一つは」とあるのに二つ目がどこにあるのか探してもわからないのが気になりますけど)
しかし、俺には「若すぎるからと許されないなら」と「髪の毛が長いと許されないなら」において「許されない」ものは同じものだとしか思えないので「若すぎるからと許されないなら」がロングヘアーが許されないということならば、「髪の毛が長いと許されないなら」は髪の毛が長いとロングヘアーが許されないというわけのわからない意味になってしまうんですね。
では何が「許されない」のかといえば、「今の私に残っているのは 涙をこらえて歌うことだけさ」とあり、その歌が「平和の歌」なのだから、「平和」に関する問題に対して「平和の歌」を歌う以上のことが許されていないということになりますよね。
しかし戦後は言論の自由が保証されているんだから「戦争を知らない子供たち」にも発言する権利があってその意味では「許されない」なんてことはない。ではなぜ「許されない」のかといえば、戦争を知ってる世代から一人前の人間(大人)として扱ってもらえないということになりますね。
なお、許されない理由は「若すぎるから」「髪の毛が長い」であって「戦争を知らない」ことではないことにも注意しなければなりませんね。まあ戦時中に長髪はあまりいなかっただろうから、そういう意味では「戦争を知らない」世代だから長髪なんだということにはなりますけどね。
※ なんで長髪だと一人前の男子ではないのかといえば、古来一人前の人間は髷を結っており、髷を解いた髪型を「童髪(わらわがみ)」と呼んでいたことは冗談抜きで無関係ではないと思われ、昭和の時代にはもちろん大人になったからといって髷を結わないけれど、大人になったら大人らしい髪型をするという「常識」があったのである。
※ なお長髪だから大人と認められないというのは女子には関係のないことで、この歌は「戦争を知らない子供たち」といいながら実は男子のことしか眼中にない男尊女卑の歌であると言おうと思えばいえなくはないと‥
「戦争を知らない子供たち」というタイトルはかなり刺激的だけれど、詞を読む限りでは「戦争を知らない」ということに特に意味はないように思われ、それよりも「戦争を知らない世代=若者」ということに意味があると思われ。ただしこの歌を聞いた人がどう感じたのかはまた別の話。
(追記)
もちろん
「戦争を知らない子供たち」に戻る。その歌詞の先に「今の私に残っているのは涙をこらえて歌うことだけさ」とある。なぜ涙を堪えているのだろうか?
答えをいうと、その当時の大人たちに負けたからである。歌の文脈だけ読むと、「お前、髪を切れや」と親がいうのに屈して髪を切って泣いたということになる。が、もちろん、それは象徴である。
という解釈も俺には同意できない。髪を切ったから泣いたのではなくて、髪が長いと一人前の大人として扱ってくれないから悔しくて「涙をこらえて」るのである。