原田発言は正しいのか?

原田泰氏の発言がなぜ炎上したかというと、ナチスが正しかったかのように受け取れる発言をしたからであって、まあ普通に読めばそういう意味ではないことはわかるけれども、それでもナチスを持ち出すときには注意に注意を重ねてというか、そもそも安易にナチスを持ち出すべきでないということでしょう。麻生発言も「ナチス見習って憲法を改正しよう」なんて意味では全くないのに炎上し、いまだにそういう意味だと信じて疑わない人がいっぱいいっぱいいるわけで、誤解する方も誤解する方だけれども、発言をする方も少しは学ぶべきであろう。


それはそれとして、じゃあ原田発言の真意については正しいのかといえば、俺はhamachan先生と違って全くそうは思わないわけであります。だからといってその部分について、こんなことを言う原田氏は「バカか悪意があるに違いない」とは思わないで、単に意見が相違していると思うのみでありますが。


で、具体的には、まずヒトラーの政策は効果があったのかという点でありまして、かの池田信夫氏は誤りだと述べておられます。池田信夫と聞けば頭に血が上る人が多いとは思いますが、まあこれも一理あるのではないかと俺は思います。ただ本当に池田氏が正しいかというのはわかりかねますけど。


次にhamachan先生の記事が引用している『ヨーロッパ労働運動の悲劇』によれば、

・・・社会民主党は、異常な強度と持続性を持つ恐慌を洞察しなかった。経済的暴風が全勢力をもって吹き荒れていた1931年になってすら、彼らは、危機自体の緩和にはあまり役立たず、ただ労働階級の直接的苦悩を軽減することを主眼とした政策を固執した。多くの社会民主党労働組合の指導者たちは、オーソドックスの理論に執着していた。それは、国家の干渉は目先の救済をもたらしはするが、それはただその代償として危機を一層長期にわたらしめ、さらに性質において一層厳しいこともあり得るような別の恐慌を準備するに過ぎないという理論である。従って社会民主党労働組合は、政府のデフレイション政策を変えさせる努力は全然行わず、ただそれが賃金と失業手当を脅かす限りにおいてそれに反対したのである。・・・

社会民主党は「オーソドックスの理論に執着していた」と否定的に書いてあるようですけど、「国家の干渉は目先の救済をもたらしはするが」と効果が無いということは無い、だがしかし…ということでありましてこれは俺の考えに非常に近い、というか同じなのであります。実際のところソ連だって北朝鮮だって、目先は上手くいっていたのであります。


で、ここからは経済政策の中身ではなく、もっと根本的なこと。そもそもヒトラーが権力を行使できるようになった原因は、第一次世界大戦後のドイツ(ヴァイマル共和政)が混迷を極めており、そのために強力な政権が求められていたわけで、良く言われるように民主主義は意思決定において反対意見を調整する手間がかかり何を決めるのにも時間がかかるのに対し、独裁政権はスピーディーに対応できるという長所があるわけであります。すなわち、

ヒトラーより前の人が、正しい政策を取るべきだった

と原田氏は言うけれども、それを実現するためには、大多数の人が「正しい」ものが何であるかを知っているか、それを「正しい」とは思わない人々を弾圧し独裁政権を作るかしか無いように思われるわけであります。よって、「正しい政策」を取ればヒトラー政権は誕生しなかったかもしれないけれど、別の独裁政権が誕生していたのではないかと思うわけであります。もっとも「りふれは」におかれましては、「正しい政策」を理解できないバカは、賢いインテリ様の言うことに従う方が幸せだと思ってるのかもしれませんが。


次に原田氏は

そのうえで「ヒトラーが正しい財政・金融政策をやらなければ、一時的に政権を取ったかもしれないが、国民はヒトラーの言うことをそれ以上、聞かなかっただろう。

と言うけれども、それは果たして正しい認識かといえば、俺は違うと思うわけであります。俺の認識ではファシズムイデオロギーなど無いと思います。というかイデオロギーが無いことがファシズムファシズムたるところであろうと思います。よってヒトラーの経済政策が成功したのかしなかったのか俺はわかりませんけど、それはナチスにとってそれほど重要なことだとは思わないのであります。少しわかりにくいかもしれませんが、ナチスがその経済政策により支持されるのだとしたら、その経済政策を他の政党が採用したらその政党が支持されるわけで、すなわち代替可能ということになりナチスの存在意義がなくなってしまうわけであります。よってナチスにとって経済政策によって支持されるというのは、全く喜ばしいことではないのであります。ナチスは経済政策が成功しようが失敗しようが支持されなければならないのであり、失敗したら失敗したで、その責任を外部に押し付けて正当化したでありましょう。そして当時のドイツ国民はそれを支持したでありましょう。ナチスへの支持はそんな具体的な政策によるものなどではなかったから、というのが俺の思うところであります。ナチスを一般的な政党と同じ感覚、すなわち政策の中身で支持されているという感覚で見るのは誤りであると思うのであります。