科学は多数決で決まる(その2)

科学は多数決で決まる

前の記事を書いたのも実を言えば片瀬久美子氏がそう言ってるのを見たからなんだけど、相変わらず同じことを言ってますね。これはニセ科学の信奉者に対して言ってるんだろうけれど、こんな説得が彼らに対して効果があるのだろうか?


だって、彼らはまさに科学は「一部の権威者の意見や多数決で決まらない」と信じているからこそ、少数派である自分達の主張に正当性があると思っているのだろうから。


そもそも根本的に間違ってるのだ。科学は多数決で決まるのだ。


まあ、厳密に言えば「多数決」とは

会議などで、賛成者の多い意見によって物事を決めること。また、その方式。(デジタル大辞泉の解説)
多数決(タスウケツ)とは - コトバンク

であり、どこかの会議場に科学者が集まって「これは正しい」「これは間違ってる」と決を採ってるという話は聞いたことがないから、そういう意味では「多数決で決まらない」ということにはなるが、もちろんそういう話をしているのではないのであり、正確には「科学者の多数の支持で決まる」である。もっと正確に言えば彼らは積極的に支持を表明しないかもしれないが、反対意見を述べないという形で支持するのである。


ただ、その前にはっきりさせておかなければならないのは「科学は多数決で決まらない」というときの「科学」とは何か?ということだ。


人類が存在しようがしまいが宇宙に存在する「絶対的な真実」という意味ならば、それはもちろん多数決で決まるものではない(そもそもそれを「科学」と呼ぶのかという話だが、一般的にそれは科学が解明するもの、またはその成果として語られるので「科学」と呼ばれることがある)。しかし、それを言うならばこの世に多数決で決まるものなど一つもない。「科学は」と科学だけに限定する必要がない。たとえば法律は国会の多数決で決まるが、多数決で決まった法律が正しいとは限らない。そんなことは議会政治の基礎の基礎ではないか。なぜ「科学」だけを特別視するのか意味不明である。


一方、科学の定説とされるものは、科学者の多数の支持によって定説となっているのである。これを「多数決」と呼ぶのなら、科学は多数決で決まってるといえるのである。多数決でなければ何で決まるというのか?少数で決まるのだとしたら、それこそおかしな話である。


そうではない、実験結果によって決まるのだといいたいのかもしれないが、その実験結果を精査し、正しいか否かを判断するのは人間だ。神様のような超越者が正しいと託宣を下してくれるわけではないのだ。


もちろん多数決といっても国民投票で決まるのではない。科学についての専門教育を受け経験を積んだ科学者集団の多数決によって決まるのだ。すなわち何が科学的に正しいかを判断する能力を知識と経験によって会得している人々の多数決によって決まるのだ。


では、何をもって「科学的に正しい」といえるのかといえば、それは科学が長年の試行錯誤によって蓄積してきた判断基準によるものである。その判断基準を科学者は専門教育や経験によって取得するのである。神が天空から授けた判定機によって判断するのではなく、伝統によって判断するのである。


一般人はその伝統を引き継いでいないから、何が正しいのか判断する能力を持っていないのであり「投票権」を持ってないのだ。疑似科学の信奉者が理解していないのはここであり、彼らは独自に天の神様から判定機を取得して正否の判断をしているが、その判定機では「科学」の正否は判定できないのだ。


では、一般人は科学と無関係かといえば、そうではない。科学は一般人の支持によって存在し得ているのである。なぜ科学が支持されているのかといえば、(個別に見れば何の役に立っているのかわからないものもあるけれども)総合的に見れば科学が人々の役に立っているからである。科学が役に立たない、あるいはむしろ害悪であるとみなされるようになれば、科学を支持する人はいなくなり、別のものを支持することになることは十分にありえることである。そういう意味でも科学は多数の支持によって成り立っているのである。