茶器の「九十九髪茄子」についてはもう少し調べてから書こうと思ってたんだけど、さっき別件調べてたら面白い話みつけたのでそれについて
加賀国金沢藩主前田利常の言行録『微妙公御夜話』という史料がある。そこに
一、御家のつくも髪の茶入、京都より売りに来り、御求め遊され候処、金百枚より負け申す事、成難き旨申し候、伊藤内膳御使にて、御隠居の事に候へば、百枚と申す御道具は、召上げられ難く候、せめて一枚負け候様にと、仰付けられ候へば、畏り奉り候由申上げ、負け申し候、代金相渡し、其上金子三枚取らせ申すべき旨仰渡さる、直に小堀遠江守殿へ内膳遣され、右の様子委細申入れ候て、名を附け遣され候様、申入るべき旨にて、内膳持参候て、右の趣申入れ候処、遠江守殿、つくも髪と附けられ候、竹田氏噺、
お家の「つくも髪」の茶入れ。京都より売りに来たので、買い求めようとしたところ、「金百枚より値引きすることはできない」と言うので、伊藤内膳が使いになって「隠居なので金百枚もする道具は買えない。せめて金一枚負けてほしい」と言ったところ、商人は承知して金一枚値引きした。代金を渡して、その上で金子三枚取らせよとの仰せなので渡した。小堀遠江守(遠州)に内膳を使わされ、この様子を詳しく報告して、茶入れに名前をつけてほしいと申し入れたところ、小堀遠州は「つくも髪」と名付けた。竹田氏が話す。
これはどう考えたって「百年に一年たらぬつくも髪」をもじった「百枚に一枚たらぬつくも髪」である。
この話がどこまで事実なのかわからない。100枚じゃ高いから99枚に負けろと言っといて、3枚上乗せしたのだから結局102枚払ったことになる。つまり本当に金が無かったのではなくて、代金を99枚にしたかったから負けろと言ったのは疑いない。つまり最初から「つくも髪」を意識していたのだ。そんで小堀遠州に名前をつけてほしいと頼んだのだが、当然「つくも髪」と名付けられることを期待してのことである。
なお、この「つくも髪の茶入れ」というものが、今もあるのかは検索してみたけどわからなかった。有名な「九十九髪茄子」ではないことは明らかだが、「御家のつくも髪の茶入」と書いてある以上、架空の茶入ではなくて実在する(した)ものであろう。
(追記22:07)
というか、そもそもかの有名な「九十九髪茄子」の名前の由来が(村田)珠光が九十九貫で買ったからだとされているそうだ。