「Aさん」と「アンチBさん」

「Aさん」「アンチBさん」といっても、具体的に誰がということではない。あるパターンについての考察。

「A」という、ある価値観を持っている人がいる。
それに対して、正反対の考えを持っている人がいる。これを「アンチA」とする。

一方「B」という、外見上は「A」に似ているのだが、根本的には異なる価値観を持っている人がいる。
それに対して、正反対の考えを持っている人がいる。これを「アンチB」とする。

「A」と「B」は、山手線と京浜東北線のように、同じところを走っているように見えて、別の路線を走っている。
同じく「アンチA」と「アンチB」も別の路線を走っている。「A」と「アンチA」の方がむしろ同じ路線を走っているという意味で近い関係にあるということもできる。ただし、場合によって「A」と「B」は、外見上の類似を利用して、「共通の敵」に立ち向かうために協調することがある。「A」と「アンチA」、「B」と「アンチB」が協調するということは滅多にない。


さて、「アンチB」が「A」の主張を見たとき、どうにも納得できないので、批判しようとする。
この場合、まず、自分の走っている路線と相手の走っている路線、すなわち「価値観」が異なることを説明した上で、批判すべきである。
しかし、それはとても手間のかかることなので、安易に「A」と同じ路線上にある、「アンチA」が使うような論法で批判してしまう。すると、今度は当然のことながら「A」が「A及びアンチA」が共有している価値観でもって反論してくる。それに対して「アンチB」が再反論…というように議論が進んでいく。
ところが本来「アンチB」と「アンチA」の価値観は異なっている。最初に安易に「アンチA」の論法を借用してしまった「アンチB」は、自分が一体何を主張したかったのか、わけがわからなくなってくる。軌道修正しようとすると、前言との矛盾が生じてしまい、それでも強引に議論を続けようとすると、混沌はさらに続き、収拾が付かなくなる。


こういうパターンってありがちですよね。