一割の国民が九割の富を占めるのと、五割の国民が九割の富を占めるのでは、どちらが悲惨か?

格差社会と言うことが盛んに言われていて、
その時、国民の何割で全体の富の何割を占めているとかなんとか、
そんな感じのデータが示されて、日本も今にアメリカのような社会になるとかなんとか、言われているんだけど、


仮に、
「一割の国民が九割の富を占める社会」と
「五割の国民が九割の富を占める社会」があったとしたら、
どっちが好ましいのだろうか?


「一割の国民が九割の富を占める社会」の方が、より悲惨な感じがする。
というか、そんなの当り前のことじゃん…
と思ってしまうんだけど、もう少し考えてみると、そうでもなさそうで頭が混乱してしまう。


例えば「米(あくまで仮定である。ブランド米とか輸入とかは考えない)」について考えてみる。
いくら金を持っていたって、胃袋が大きくなるわけではない。
たらふく食いたいと思っても、限界がある。


米の生産量を「100」で、「平等な社会」では一人当たり消費が「1」であったとして、
「一割の大金持ち」が、そのうちの「90」を食べるなんてことはあり得ない。
仮に2倍食べるとしても「2」×「10」で「20」を消費するとして、残り「80」を「その他」が食べるとすれば、「1」当たり、「80/90」の米を得ることができる。
ところが、これが「五割の小金持ち」であった場合、彼らが2倍の米を食べてしまえば、それで全てを消費してしまい、残り五割の人間は米を食べることができなくなる。


もちろんこれはあまりにも単純化しすぎた考えではあるけど。
しかし、富が独占されればされるほど悪い世の中になると考えるのも単純なような気もする。


そういえばこんな出来事もあった。


ニュース追跡)水戸市不燃ゴミの袋不足(asahi.com
http://mytown.asahi.com/ibaraki/news.php?k_id=08000000604090001
自治体の見通しが甘かったという問題については措いといて、「約半年分を見込んでいた」はずなのに、ゴミ袋が不足してしまったのはなぜかといえば、それは大金持ちが買い占めたということではなくて、多くの人が少しずつ多めに買ったということなのだろう。