フレデリック・フォーサイス

フレデリック・フォーサイスには『ハイディング・プレイス』という作品がある。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4893530143/ref=pd_ecc_rvi_1/250-1128877-9025819
フォーサイスの作品は角川書店から出されているのだが、これはフジテレビ出版から出された。
当時フォーサイスは世界中で大人気だったが、特に日本での人気は凄かったということを聞いたことがある。
それに目をつけて、ひと儲けしようと思い、おそらく大枚はたいて、執筆を依頼したのだろう。(あくまで推測)
映画化する予定だったらしい。当時フジテレビは「南極物語」とか映画に力入れていた。


で、フォーサイスが日本を舞台にした小説書くっていうんで、期待が大きかったんだけど、結果は大ハズレ。映画化の話もなくなった。
当時、俺も買って読んだんだけど、正直がっかり。どうしてかと言うと、短すぎるから。見た目は立派なんだけど、活字がでっかくて、あっという間に読み終わった。これで千円以上するんだから、がっかり。そういう意味。小説自体は傑作とは言わないが、それなりに面白かった。


だけど、この作品の失敗は、どうも、そういうことじゃなかったみたい。問題はこの作品(特にラスト)が間違った日本のイメージで作られたと思われたからのようだ。日本といえば、フジヤマ・ゲイシャ・スシ・テンプラ。出歯に眼鏡。そういうイメージを改善したいと考えていた人々にとって、フォーサイスが日本を扱うというのは願ってもないことだった。ところが、そのフォーサイスでさえニンジャ・サムライっぽいエキゾチックなもの出してくるものだから、大いに落胆した。多分そんなところだろう。「ジャパン・アズ・ナンバーワン」なんて言葉が流行語になっていた時代だ。
(参考 http://www.webdokusho.com/kikaku/amekiba.htm 「誤ったイメージ」的なことが書いてある。)
で、この作品、本当はフォーサイスが書いたのではないのではないかなどという噂まである。


まあ、やりすぎちゃった感はなくもない。でも、実はフォーサイスの作品は、「ジャッカルの日」にしろ、「オデッサファイル」にしろ、「戦争の犬たち」「悪魔の選択」にしろ、ラストは「三流スパイ小説」のような荒唐無稽な結末を迎えているんですね。そんなこと有り得ないだろうと思わずツッコミたくなる結末。どこまでがフィクションで、どこまでがノンフィクションなのかわからないようなストーリーのラストは完全な作り物。もちろんわざとやっているのだろう。


そのへんわかった上で批判されたのかっていうと、どうもそうではなさそう。やっぱりこのへん日本人にとって敏感な部分だから、その点に無神経だったのが失敗した原因かもね。