出典の必要性

「商人」が「商(殷)の人」という話を、俺は中国の古典にそう書いてあるのだろうと思ったということを上に書いた。もう少し詳しく言えば、それが事実か事実でないかといえば、おそらく事実ではないだろうが、そういう伝承があったのだろうと考えたということ。だが、それが実は勘違いで、日本人が近代以降になってから主張したらしい。


とんだ勘違いだけど、似たような話は他にもある。
例えば青森県新郷村の「キリストの墓」。これを本物だと考える人は滅多にいないだろう。本物ではないけれども、「隠れキリシタン」によって江戸時代から現地で伝えられてきた話ではないかと考える人がいる。事実は昭和になってから外部の者が唱えた説である。


単に「キリストの墓は本物ではない」と説明されるだけだと、近代以降に出現した説なのか、古くからある伝承なのか、それだけでは判断できない。従ってこういう勘違いをしてしまう。古くからある民間伝承ならば、それはそれで民俗学的な研究価値がある。ところがこれがそうではないとすれば、そんな価値はない。(もちろんそれはそれで、また別の研究価値はあるだろう)。


ところが、こういう話になると、事実か事実でないかということに焦点が集まってしまって、肝心のどうしてそういう説が出てきたかが説明不足という例が多い。すると、情報不足で上のような勘違いが発生する。ただし、「キリストの墓」については、現在では詳細な検証がされていて、参考文献も手に入りやすいので恵まれている。


しかし、同じように、あるいはそれ以上に巷間で囁かれている「天海僧正=明智光秀説」などは、あまりまともな検証がされていない。そもそもいつからこの説があるのかもはっきりしない。おそらく明智滝朗氏の書いた『光秀行状記』が元なのだろうが、「天海=光秀説」について書かれたサイトは検索すれば肯定派・否定派の記事が山ほどあるけど、それについて言及しているものは極僅か。
そんなわけで、「天海=光秀説」が昔からある言い伝えだと思っている人も多い。(俺がそんな説があったということを知らないだけかもしれない。念のため。しかし出典が書いてあるのを一つも見たことがない。ただし光秀生存説なら江戸時代にあった)。


事実か事実でないかだけではなく、それをいつ誰が唱えたのかが重要だと思う。具体的には、「同時代の史料にある説」「近代以前の史料・伝承にある説」「近代以降に出た通説(現在では否定されているものも含む)」「近代以降に出た異端の説」の区別くらいは明記して欲しいと痛切に思うんだけど、実際には難しいのか、出典が明記してないものが結構あるんですよね。


これについて書き出したらきりがないんで、このへんで止める。また書くかもしれない。