地域ごとに多様な日本人

2006-06-02」の続き。

② 地域ごとに日本人は多様である。例えば、西日本・東日本の文化の違いというのがある。あるいは、関西人・関東人・東北人・九州人というように細かく分けることもできるし、もっと細かく分けることもできるだろう。


この考え方をする人は結構多い。
で、ナショナリズムを否定する時にこれを持ち出す人がいる。ところがこれは、よく考えてみればナショナリズムを分割したに過ぎないのでないだろうか?例えば、日本を東と西に分割したとして、中心は東京と大阪になるだろうけど、東日本に住んでいて、東京の文化になじまない人間はいくらでもいるだろうし、西日本も同様。それじゃあってんで、都道府県ごとに分割したとしても疎外感を持つ人はいるだろう。どうしたって中心が存在し、周縁は不満を持つ。


しかも、これは土地を基礎とした考え方だ。先祖代々その土地に住む人は、自らのアイデンティティをその地域に求めることができるだろうが、そうでない人はどうするんだ?現代は人間の流動性が高い。全国に支店のある企業に勤めるサラリーマンの家庭なんか、親子二代で、あるいは三代で生まれたところが違うなんてザラにある。個人単位で見ても、出生地と育った土地と現住所が違うなんて珍しくもない。俺もそうだ。
もし日本が都道府県ごとに分離独立でもしたら、俺は現住所では少数民族になってしまう。それじゃあってんで、育った土地に「移住」しようっていったって、長年土地を離れていた者にとっては、そこも「安住の地」ではない。じゃあ「父祖の地」に帰るかって、そこでだって「余所者」だ。だから俺は、日本を地方ごとに独立させようなんて方向になったら(まあ、当面有り得ないだろうけど)、その時は断固反対する。俺に言わせれば、地域ナショナリズムよりも国家ナショナリズムの方がナンボかまし。(こういう人は少なからずいると思うんだが、ナショナリズム肯定派・否定派どちらからも無視されがちであるように思えてならない。)


国家を細分化すればするほど、「日本人」であった人の中から、どの「国家」に所属したとしても居心地が悪い人(少数民族)が大量に発生するということになる。これは荒唐無稽な話のようで荒唐無稽ではない。現実に、かつて「日本人」であった人の中に、そういう問題が発生していることは周知の事実だ。世界を見渡せば、「帝国」の崩壊が悲劇をもたらした例は多数ある。


そう考えてみると、「少数民族」が生じるのを防ぐには、分割ではなく統合の方向が実は望ましいということになるのではなかろうか?究極的には「世界政府」を作るのが良い。
…と言いたいところだが、それはそれで、大きな大きな、深刻な深刻な問題が生じるだろうから、こっちはこっちで大反対。
結論から言えば、「適正規模」のまとまりがよろしいってことになる。だが、その「適正規模」をどうやって、誰が決めるのかというのも大問題。
歴史・文化・地理・経済等々様々な要素がそれを決定することになるだろうが非常に難しい。現在の「日本国民」の意見では、そのまとまりの範囲は、現在の「日本国」であるのが望ましいというのが大多数の意見であろう。だが、そう思わない人が出てくるのは必然だ。どういう範囲であれ、万人が納得することはないということだけは、はっきりしている。