タスマニアの日の丸

日の丸についてのトンデモ私説


こういう話は大好きだ。わくわくする。
俺は俺で独自のトンデモな考えを持っているんだけど、それはおいといて、「日の丸」を旗印にしていた意外な国の話。

 私の視線は、その船の中央に翻っている一本の旗に吸い込まれた。なんということであろう。その旗は、日本の国旗と同じ白地に赤い「日の丸」の旗であった。私は自分の目を疑った。しかし旗のデザインは、何度見直しても間違いなく「日の丸」であった。

 銭五のタスマニア渡航説を追い、彼の活躍した時代、銭五をはじめ、日本人と接触を持ったかもしれない異国船として、その航跡を追っていた船のマストに、まさか日本の国旗とほぼ同じ「日の丸」が翻っていたとは、しかもその「日の丸」は、植民地「タスマニア」の旗であり、タスマニアに所属する船にその旗の掲揚が義務づけられていたとは、一体これはどういうめぐり合わせであったのだろう。

 私の脳裏に再び口永良部島の名前がよぎった。江戸時代の末期、薩摩藩が密貿易の基地として使ったといわれている島である。元長崎高商の川島元次郎氏が、著書『南国史話』のなかで、銭五が薩摩藩の承諾を得たうえ、彼らと同様、密貿易を行なっていたと述べている島である。実際この口永良部島には、薩摩藩の建てたイギリス人の舘があり、取引きはこの舘に住むイギリス人を介して行なわれていたという。

(『幻の石碑 鎖国下の日豪関係』遠藤雅子 サイマル出版会


銭五とは「銭屋五兵衛」のこと。加賀の国の貿易商。
銭屋五兵衛ウィキペディア


明治になって日本の軽業師一行がタスマニアに興業に行ったところ、『かしうぜにやごへいりょうち(加州銭屋五兵衛領地)』と彫られた石碑を発見した。という話から銭屋五兵衛タスマニア渡航伝説が流布した。その伝説を検証する過程で英領タスマニアの旗印が白地に赤の「日の丸」であったということを「発見」した。その「日の丸」を掲げた捕鯨船「ノース・アメリカ号」が「ハーラート島」という島に上陸している。住民は日本人だった。トカラ列島の宝島ではないかと見られている。


この話はこの本以外で見たことがないので、多少不安だけど、信用してもいいのではないかと思っている。「日の丸」が薩摩藩琉球、そして密貿易に関わっていた(かもしれない)英領タスマニアの船印として使われていたというのは大変興味深いところだ。