「衆愚政治」とは何か?(続き)

トクヴィルの警鐘する「衆愚政治」とは何か?
気になるので、グーグル先生に聞いてみた。


衆愚政治 トクヴィル の検索結果 約 252 件


少な!たった252件。しかも、「最も的確な結果を表示するために、上の93件と似たページは除かれています。」


ちなみに
衆愚 トクヴィル の検索結果 約 273 件


全部クリックしてみた。
しかし、その結果は惨憺たるもの。肝心のトクヴィルの定義する「衆愚政治」とは何かが書いてない。


衆愚政治とは衆愚政治のことだ。説明するまでもない」ってことだろうか?これでいいのか?



ただし、一件だけ注目に値するものがあった。


西部邁に関するノート(3)
(⇒今井公雄のホームページ


『思想の英雄たち』という本の終章に、

 現代の知識人が犯した罪悪のうちで最たるものは、彼らが変った調子や乱れた調子の仮説(およびそれにもとづく技術)を人々の生活のなかに捲むことなく注ぎ込んだために、人々の経験(解釈体系の持続)が破壊され散逸させられたことである。……
 こうした状況に疑念を差し向けないもの……長きにわたってデモス(民衆)を指導するアリストス(最優良者)ででもあるかのように振る舞ってきた知識人こそが衆愚の代表であり、その意味で最劣等者であるというのは大いにありそうなことだ、これくらいのことはそろそろ確認されてよいのではないか。愚鈍さは自分が利口であると思っている人間にとりつきがちの病気である、というのは本当のことだったのだ。その病気にたいして予防する必要を唱えた知識人の系譜、それを調べるのが本書の目的であったという次第である。p280.281

と書いてあるそうである。


これこそ昨日俺が言いたかったことだ。少なくとも俺の独りよがりの解釈じゃなかったってことだ。よかった。よかった。
(実のところ俺は西部邁あんまり好きじゃないんだけどね…)


思想の英雄たち―保守の源流をたずねて

思想の英雄たち―保守の源流をたずねて

今度読んでみよう。