幻想の「秀吉ご落胤説」(その2)

それともう一つ気になる点がある。それは、「ご落胤説」とは言うけれど、はっきりと「ご落胤」であるとは言っていないということである。もちろん、あからさまにそう言うのは憚りがあったと考えることもできるのだが、そういう意味ではない可能性もある。


先に『天正記』を紹介したが、松永貞徳『戴恩記』にはこう書いてある。

ある時秀吉公いつも御参内の時。御装束めしかへらるゝ御やど施薬院にて曰く。我、尾州の民間より出たれば。草かるすべは知たれども、筆とる事は得知らず。元より、歌、連歌の道には、猶ほ遠しといへども、不慮に雲上の交をなす。但、わが母若き時、内裏のみづし所の下女たりしが、ゆくりかに玉体に近付き奉りし事あり。その夜の夢に、いく千万のおはらひ箱、伊勢より播磨をさして、すき間なく、天上を飛行、又ちはやふる神の見てくらてにとりて、と云ふ御夢想を感じて、我々を懐胎しぬ。

(小和田哲生『豊臣秀吉中公新書


秀吉の母(大政所)が若い時、内裏の下女であったが、玉体に近付いたことがあった。その夜に霊夢を見て、秀吉を孕んだというのである。だから秀吉は天皇落胤だというのであるが、見ての通り、秀吉の母と天皇が性行為をしたとはどこにも書いていない。そんなことは書かないのが当り前であって、行間を読めと言われるかもしれないが、書いてないものは書いてないのである。すると「性交渉をしないのに子供が出来るなんて馬鹿なことはありえない」という反論が当然出てくることになるわけだけど、俺は正に大政所は性交渉無しで懐妊したのであると考えるのである。


もちろん「科学的」にそんなことはあり得ない。しかし、そもそもこれは実話ではないのではなかったか?実話でないのなら「処女懐胎」もありである。「桃太郎」に犬や猿や雉がしゃべれるわけがないじゃないかとケチをつける人はあまりいない。実話ではないからである。ところが「作り話」であるはずの、秀吉の出生については、なぜか科学的視点を導入して、書いてもいないことを書いてあるかのように理解してしまうのである。


素直に読めば、秀吉のここで言いたかったことは、自分は「不慮に雲上の交をなす」ことになったけど、これまで全く縁がなかったわけではありませんよということであって、自分には天皇の血が流れているということを主張しているのではないと俺には思えるのだが、いかがであろうか?


というわけで、そもそも秀吉「ご落胤説」などというものは幻であって、この話は「大政所処女懐胎説」と呼ぶべきものであると俺は考えるのである。


処女懐胎(ウィキペディア)