「頑張っていただくしかない」が問題ならそれは「少子化問題」自体が問題だということ

子供を産むことができるのは女性だけ。だったら、子供の数を増やすのが目的ならば女性が頑張るしかないと思うのだけど…

 理由が様々ですが、わが国は子育てを非常にしにくい国だという実情がその大きなひとつの原因です。2002年にOECD発表の仕事と育児の両立度指数で計ると、わが国の両立度はOECD諸国の中で最低に近い。だから女性ががんばるとかいう問題では全くなく、子育てがしやすく、また喜びとなるような社会環境を作るのが政府の急務なはずです。

拝啓 柳澤伯夫様 厚生労働大臣をお辞めください(JanJan)


現状では女性が頑張れる環境にはない。だから、そういう社会環境を作れ。女性だけの責任だけではない。そういう意味で批判してるんですよね。でも、そもそも俺の見るところでは柳沢大臣の発言の真意はそういうことであって、つまり、このJanJan記者の主張と同じでしょう。


俺は「産む・産まない」は個人の自由であり、国家が関与することではない。その結果として人口が減ったら、それに合った社会政策をしていくべきという考え方。具体的には高齢者が働くとか、移民を受け入れるとか、生産性を上げるとか、論議すべきことはそういうこと。


それに対して、柳沢大臣JanJan記者も、どちらも「少子化」を防ぐのが目標になっていることに変わりがないし、俺の見たところでは、目的だけではなく手段も同じ。同じ考えの人間が「同志」を攻撃している。この考え方に同意できない立場の人間からすると、わけがわからない。


JanJan記者は、現在、そういう社会環境が整っていないから、「女性ががんばる」という発言を批判しているわけだけど、じゃあそういう社会環境が整ったとしたら、それにもかかわらず子供を産まない女性は「環境が整っているにもかかわらず子供を産まないのはけしからん」と言うのかと…まあ、記者は「子供を産むか産まないかの意思決定に本人の権利がある」云々と書いているので、そういうつもりはないのだろうけど、それで「少子化」をどうやって防ぐのか。産むという意思決定をするように「洗脳」でもするのか?そうでなければ、要するに、「社会環境さえ整えば、女性は子供を産むのが自然だ・当たり前だ」と決め付けているということではないのか?まあ、「多くの女性は子供を産みたいと思っており」と書いてはあるんだけど、これは「現在」の話。2030年にもそうだとは限らない。そもそも意識に変化がなければ「少子化問題」など発生していない(このへんフェミニストはどう考えているんだろう?)


根本的な問題である「少子化を防がなければならないのか」ということを論じないで、この問題を論じるのは空虚だ。「少子化を防がなければならない」という結論が先にあるのなら、言葉をどう繕ったところで「女性に頑張ってもらう」必要がある。「産む・産まない」の自由があるなら、産む意志のある女性はなおさら3人〜4人、さらにそれ以上の子供を「頑張って」産んでもらうしかないではないか。他にどうしろというのだ?


俺は「少子化を防がなければならない」という考えを支持できないが、それはそれで一つの考え方であって、そういう考え方を持っていたからといって、考えるだけでけしからんなどとは思わない。一方、柳沢大臣が、同じ「少子化を防がなければならない」と考えている人間から、あってはならない暴言であるかのように批判されていることについては「お気の毒」と感じずにはいられない。