見えざる手

素朴な疑問をド素人の俺が恥ずかしげもなく日記に書くシリーズ第二弾。


アダム・スミスの『国富論』に出てくる有名な言葉「見えざる手」

利己的に行動する各人が市場において自由競争をおこなえば、自然と需要と供給は収束に向かい、経済的均衡が実現され、社会的安定がもたらされる

アダム・スミスウィキペディア


株式市場などは、各人がそれぞれの思惑で、株を買ったり売ったりしているけれど、「見えざる手」に導かれて適正な価格が形成される。だから余計な介入などしないほうが良い。みたいな使われ方してますよね。その各人の思惑だけど、有価証券報告書等企業情報を分析して投資するって人もいれば、デイトレーダーのように株価そのものを分析して売買する人もいるし、雑誌等で推薦されていたから買ったという人もいれば、占い師に聞くとかオカルト的な方法で投資行動を決めている人もいるだろう。


結局、株式投資というのは儲かってナンボの世界だから、いくら高度な理論で分析して、自分の予想した株価のほうが「正しい株価」だなんて言っても負け犬の遠吠え。デタラメ理論で投資しても儲かれば勝ちは勝ち。「正しい株価」とは理論上の価格じゃなくて市場価格の方。その「正しい株価」というのは、どうやって形成されるかといえば、プロからアマまで多様な人達が参加して形成された価格。


だとすれば、市場を優先するということは、アマチュアの価値を認めるということですよね。個人個人の判断を切り離して見れば、おかしなこともあるだろうけど、それが集まれば適正なものになるってことなんだから。プロだけが参加して価格を決定して個人投資家に押し付けるよりも、そのほうが合理的だって考えられているんですよね。


株式はこのようにして価格が決定されるんだけど、小売商品などはプロである販売者が価格を決定している。とはいえ、高ければ消費者が買わないから、販売者は消費者の購買動向を考慮して価格を決定しなければならないから、やっぱりアマチュアの価値を認めているってことですよね。この価格が正しいのだから客は黙って従えというのは通用しませんよね。


新自由主義というのは、こういう考え方が基礎にあると思うんですよね。


ところで、世の中にはいろいろな人がいるわけで、当然ながら新自由主義を批判する人がいる。左翼が批判してるし、保守でも抵抗勢力と呼ばれる人がいる。新自由主義者は世の中が新自由主義者ばかりになれば良いと思うこともあるかもしれないけれど、そう上手くはいかない。さてどうする?


で、素朴な疑問というのは、良い悪いの判断は抜きにして、「新自由主義こそが正しい考えだ」といって敵を排除するとか、「上手くいかないのは抵抗勢力のせいだ」といって悲嘆するとかは、新自由主義者として矛盾した行動なのか否かということ。これが良くわからない。


ちなみに特定の人物を想定してるわけじゃありませんよ。念のため。