ド素人が考える少子高齢化社会の年金問題(アリとキリギリス編)

昨日のつづき。


イソップ童話の「アリとキリギリス」では、冬になってキリギリスは食べるものがなくなってアリに食料を求めた。アリがキリギリスに聞くと、キリギリスは夏の間歌っていて暇がなかったと答えた。アリはあざ笑って、それなら冬も踊っていればいいじゃないかと答えた(アリがキリギリスに食料を与えるケースもある)。


この場合、アリは夏の間に冬に食べるための食料を集めていたので、冬になっても飢えることがなかったのである。しかし、もしこれが、アリは夏の間、食料を集めて、自分の食べる分以外は、虫の銀行に預けて、冬になったら利子を付けて返してもらおうと考えていたという話だったらどうだろう。


虫の銀行は食料を金庫に置いておくだけでは利益が出ないし、利子をつけることもできない。誰かに貸さなければならない。貸す相手はキリギリスだ。キリギリスはそれを食べてしまった。返すつもりがなかったわけではなくて、冬になったら返すつもりでいた。しかし、いざ冬になってみると食料はどこにも見当たらない。銀行は返せと催促するが、ないものは返せない。替わりに歌ならいくらでも歌ってあげると答えるのみ。アリは銀行に行って食料を引き出そうとするが、銀行もキリギリスが返さないのだから、金庫にある食料は僅か。そこで銀行は、窓口に殺到するアリたちに、食料はこれだけしかないから、預けた量に比例して分配すると告げた。そこで金持ちアリはなんとか冬を越すことができたが、貧乏アリは飢え死にしましたとさ。


教訓:ないものはない。


「働かざるもの食うべからず」というが、それは働いたら働いた分だけの成果を受け取ることができるということではない。自分の必要分以上の労働の成果は、他者が受け取るのである。それは将来その分だけ他者の成果を受け取る権利を有するということになるが、他者がそれに見合う生産をするという保障はないのである。イソップ童話のアリは食料を現物で持っていたから冬を越すことができたのだ。


だから、もし少子高齢化社会で生産力が落ちるとしたら、それに対する防衛策は、今から長期間保存することのできる食料、その他の必需品を買いだめしておくことである。しかし、例えば今からパソコンを買いだめしておくことが愚かなことだということは説明するまでもない。また、今のうちに入院しておくとか、介護サービスを受けておくとかが馬鹿らしいことであるのも言うまでもない。今のうちに自分の葬式をやっておくというのは、もしかしたらありかもしれない(あと外貨を保有しておいてとっとと国外脱出というのもあるか)。


で、これを現実の世界に当てはめると、将来、労働力人口が減少するのであるから、今のうちにやれることはやっておくべきということになるんじゃなかろうか。具体的に言えば、今から野菜をいっぱい作っても腐ってしまうだけだが、道路や橋や空港やダム等の社会資本は長期間利用可能なものであるからして、今のうちに作ってしまえば、将来それを担うはずの労働者を、別の分野に振り向けることができるのである。と、理論上はなるはずではないのか。


しかし、そう単純でないのは、空港を作ったところで、誰も利用しないようなものを作ったのでは、無駄であるばかりではなく、維持管理に人手がかかるので、逆効果になってしまう。だが、本当に必要なものならやるべきだと思う。とはいえ、本当に必要なものは様々な利害関係が絡んでいて、そう簡単にできないんだろうなとは思う。


ここまででツッコミあったらよろしくお願いします。