はだかの王様ははだかを見られて恥ずかしかったのか?

裸の王様は賢くなかったのかどうか(深く考えないで捨てるように書く)

しかし、よく考えてみると、自分と同程度、あるいはそれ以下の賢さの人間にはこの服は見えない、ということになる。ということは、この服を着てパレードをすることを想定すると、パレードを見る国民が自分(王)と比べて賢いかどうか、ということがポイントになる。国民が皆自分より十分賢ければ問題ないが、もし自分より愚かな者が多ければ、この服は国民には見えないわけで、結局恥をかく。


⇒はだかの王さま青空文庫

「そんな布があるのか。わくわくするわい。」と、服が大好きな王さまは思いました。「もしわしがその布でできた服を着れば、けらいの中からやく立たずの人間や、バカな人間が見つけられるだろう。それで服が見えるかしこいものばかり集めれば、この国ももっとにぎやかになるにちがいない。さっそくこの布で服を作らせよう。」

この訳が原文に忠実なのか、わからないんですけど、これを読む限り、王様の目的は「けらいの中からやく立たずの人間や、バカな人間が見つけ」ることと、「服が見えるかしこいもの」を集めることですから、かしこくない者に裸を見られることは、想定の範囲内で、王様は裸を見られることを恥だとは思っていないようです。話の最後で「王様は裸だ」と領民に言われますが、裸を見られて恥をかいたとは書いてありません。そもそも「裸」といっても「全裸」ではなくて下着を付けていますし、下着といってもブリーフ一丁というようなものではないと思われます。


この童話の面白いところは、町人(世論)は簡単に自分の態度を変えることができるのに、王様はそうはいかなかったというところにあるんだと思います。