はだかの王様(言葉にできない)

俺は経済学について全くの無知だが、
027松尾匡著『「はだかの王様」の経済学――現代人のためのマルクス再入門――』 - akamac book review

はだかの王様」とは,本当ははだかなのに王様の威に逆らえずはだかといえない滑稽さと純真かつ正直なこどもによる告発という有名な童話だ。この童話のポイントは,本当は王様ははだかだということと,ある種の権力関係が作用してはだかといえないということ,つまり真実と虚偽とは誰にでもわかるということである。


赤間先生の『「はだかの王様」の経済学』評について

 先生は、家臣達が王様の威光をはばかって、裸とわかっていながら「服をお召し」と言っている話ととらえておられるようですが、拙著で出てきたお話はそう ではありません。みんな、自分には服が見えないだけで、服は本当にあって他の人には見えているのだと思い込んでいるお話です。それがあまり非現実的だというならば、もっと条件を緩くすれば、「嘘かほんとかはともかく、他人はみんな王様の服があるものとして行動し、服が見えないと言った人を愚か者あつかいするだろう」という予想を、各自みんなが抱いているというお話です。家臣が王様を恐れている話ではなくて、王宮の人々が互いを恐れている話として紹介したつもりです。

アンデルセンの本来の童話の解釈については松尾氏のほうが正解に近いと思う。「はだかの王様」の解釈については以前書いた。
はだかの王様 - 国家鮟鱇


上の記事で紹介しているが、この件について、日々一考(ver2.0)では『「はだかの王様」と皆が思っていたにも関わらず「透明な服を着た王様」だという嘘が成立していた世界』、山形浩生氏は『みんな実は内心「王さまははだかだ」と思っているのに、お互いの顔色をうかがううちに、だれもそれをきちんと表現できないという状態』と説明している。それに対して松尾氏は反論していなかった。


微妙なのは「はだかだと思う」という表現。「思う」とはどういうことだろう?「はだかに見える」なら、実際に「王様ははだか」なのであるから、そう見えるのは当然だ(見えていても意識に入らないという場合もあるが、この童話に関してはそうではない)。しかし「思う」となると、よくわからなくなる。


ちなみに俺はこの記事内で既に「思う」という語を使用しているわけだが、その意図するところは、「自分ではまず間違いではないと考えるが、専門家ではないので、論文等を精査した上でなければ断言することはためらわれる。しかし、そんなことをするよりも、他にやるべきことも多いので、どうしても気になるなら、各自で調べてほしい」というニュアンスで「思う」という語を使っている。もっと簡単に言えば「責任を取りたくない」ということ。それでいて、もし誰かが、もっと実証的で論理的な手法で、この童話の正しい解釈を説明して、それが自分の考えと一致したら、「俺は前からそう言っていた」と自慢したいというスケベ心も内包されているのである。


この「思う」内容が、世間の大勢(と思えるもの)と一致しているときはいいとして、ズレが生じているときが問題。自分が正しくて、世間が間違っているのだと確信を持てるのなら、「敵」が何千何万いようとも構わない。それは意志を貫くということでは必ずしもない。そうでなくても、バカな世間に妥協しているのだとか、不当な圧力を受けているのだという自己満足が得られる(陰謀論者もこの類)。しかし、確信が持てないときは?


他人のことは知らないが、自分はそんなケースが日常茶飯事にある。その大半が感覚的なもので「何かが違う」程度のもの。そういう場合どうすれば良いのだろうか?現状、俺は沈黙している。最近も何やらブログ界では「日本教」なるものを良く目にするが、俺は胡散臭い話だと思っている。しかし、それについて語るには知識が足りなすぎるんでモヤモヤしたものを感じながら眺めているだけ(って今ここに書いているけれど…)。


ところで、「はだかの王様」に戻るけど、前にも似たようなこと書いたけれど、王様の服は実在するのか否か、その答えを知っているのは、童話の最後に至っても詐欺師と読者だけなんですよね。町の住民が最後に「王様ははだかだ」と叫ぶのは、王様がはだかだという事実が判明したからではなくて、子供が叫んだことから、どういう経緯でそうなったのかは不明だけれど、一つの均衡状態が崩壊して新しい均衡ができたということですよね。それはたまたま「王様がはだか」だという「事実」と一致したに過ぎない。童話の中の人々もそれが正しいと思っているかも知れないけれど、その根拠になるものは、皆がそう叫んでいるからということに過ぎないんですね。それを正しい状態になって良かったと考えるとするなら、それは童話の世界から超越した立ち位置で考えているということになるわけですよね。そこのところが、とっても、とっても大事な点なんじゃないかと思うんですよね。