「無断引用」という表現についてのあれこれ

まあ、俺にとってはどっちだっていい話なんだけど、この手の問題があったとき、どういう考え方をするのかってのが、興味ある。


いきなり、話が横道にそれるが、先日取り上げた「はだかの王様」を読んでて考えたことなんだけど、王様の衣装が見えないからって、「王様ははだかだ」と叫ぶのは子供だからできることであって、大人だとなかなかそうはいかない。どうしてかっていうのは複雑な要因があるんだけど、それを書いていると長くなるので省略。


その中で、これと関係ありそうな要因としては、何らかの正当な理由があって、周りの人達が実は王様の衣装が見えていないのに、見える振りをしているのだけど、それを自分が知らないのではないのかという疑念。もし、そうであれば、ここで衣装が見えないと告白することは、周囲に迷惑を掛けかねないし、自分が災難を被る恐れもある。


王様の衣装の逆バージョンとして歌舞伎の「黒子」がある。「黒子」は見えても見えないのがお約束だ。それを見えると騒いで許されるのは子供くらいのもの。大人だったら、「あなた以外の誰も騒いでないでしょ。黒子は見えていても見えないものなの。もし、あなたが歌舞伎の知識が全くない人だとしても、そのくらい周囲の雰囲気でわかりそうなものじゃないか」ってことになると思う。


で、「無断引用」について。「無断引用」という表現は、一般素人ブロガーだけが使っているのではない。新聞の見出しにも用いられている。それが数例だけしかないのなら、おっちょこちょいの新聞記者が使ったのだろうと考えられるかもしれないが、そうではなく頻繁に使われている。新聞記者というのは文筆で飯を食っているプロフェッショナルだ。そりゃいろいろ問題はあるだろうが、そこは一目置いておきたい。その新聞記者が「無断引用」という表現をするからには、それなりに理由があるのだろう。少なくとも、そういう可能性が考えられる。


俺はこういう思考方法をするから、こういう問題に関して、単純におかしいと思ったからといって、間違いだと即断できないんですね。もちろん、実は「王様ははだか」であって、正当な理由なんてなくて、ただなんとなく使っているだけなのかもしれないけれど、それをちゃんと確認しなきゃ気がすまない。最初に書いたように「無断引用」という表現が正しいか間違っているかなんて、俺にはどうでもいいことだけど、似たようなパターンは頻繁にあるんで、ちょうど「はだかの王様」ネタを書いたところだったから、これを機会に書いておこうと思ったというわけ。


ところで、「引用」というのは、著作権法上の「引用」と、国語辞典的な意味での「引用」がある。国語辞典的な意味で「引用」を使っているのだとしたら、「無断引用」は間違っているわけではないと思うということは少し前に書いた。昔からある言葉で定義の曖昧なものを、便宜上、法律や学術用語として定義したものが絶対的なものとなって、それ以外に使用すると間違いだと見なされるとか、外来語を馴染みのある類似の日本語に言い換えて、それが定着したとき、元々の日本語にあった意味で使用したのに、外来語にはそんな意味はないから間違った使い方だなんて誤解されるなんてこともありがちなことだし。


静岡新聞がウィキペディアを引用した件について


昨日、はてブ人気エントリーになっていた、
無断引用という表現はまちがいではない(ナガブロ)
に同種のことが詳しく書いてある。法律学小辞典にも、引用とは「自己の著作物の中に他人の著作物を引いて用いる行為」だと書いてあるそうだ。