しかし日本は外圧がなければ変わらないというのも事実

ブッシュ大統領は米国が日本を民主化させたと演説したわけだが、この話はややこしいし、知識も足りないので省略。ただ、日本という国は外圧がないと変わらない国だという実感はある。まあ俺は保守主義者なんで、何でもかんでも変わればいいと考えているわけではなく、保守主義というのは現実主義でもあるわけで、良いこと(と考えられているもの)であっても、急進的な改革、実態に合わない改革には消極派だ。しかし逆に実態が変化してしまったのにもかかわらず、旧態依然の制度がいつまでたっても変わらないとうことにも(保守であるゆえに)反発する。


個人的に印象に残っているのは80年代の日米貿易摩擦。今でも経済知識が豊富な方ではないが、当時はもっと知識がなかった。だけど、輸入品が国内で販売されるときには異常に高いものがあるということだけは知っていた。また輸入品ではないけれど、日米で比較したとき、日本製品の価格が異常に高いものがあることも知っていた。で、当時日本は貿易黒字で、逆にアメリカは貿易赤字アメリカは日本に輸入を増やせと圧力をかけてきた。


その際に問題になったのが内外の価格差。価格差が生じる原因は、国内産業の保護政策、それと各種規制、それと日本の複雑な流通制度、それと輸入業者がブランドイメージや高価格を維持しようとするため等々だったと思う。それぞれ一理あるんだけど、一方、それによって高い価格で買わざるをえないという不利益を蒙っている人が国内に大勢いたわけだ。だけど、それを表立って言えないのは、一方で、そうなると生活に困窮する人が出てくるという話があるわけで、マスコミでも「不安に怯える人々の訴え」が盛んに紹介されていたわけで、そういう中で、あえてそれを口に出せば「弱者いじめ」とレッテル貼りされかねなかったんだな。確かにそういう「弱者」もいただろうけれど、「本当の弱者」は、既得権益が守られることによって、経済大国であるにもかかわらず、豊かな生活を送れない一般庶民ではないのかという「声無き声」もあったわけだ。(ちなみに「散人先生」の農村敵視は、極端だとは思うけれど、この考えに基づくものだと思うで、ある程度は理解できる)


で、アメリカの圧力は、アメリカの利益のためではあるけれど、日本人の利益にもなることだという戦略をアメリカは取ってきたわけだ。この路線は今も続いている。日本側でも、言いにくいことを言う役はアメリカさんに任せて、やむを得ず圧力に屈しましたという形にしたほうが、何かと都合が良いわけだ。本当は外圧なんかなくても、やらなくちゃいけないと考えていることだっていっぱいあるはずなんだけど。


そんで、アメリカはアメリカの利益のために、貿易問題や金融問題や農業問題などは圧力をかけてくる。あと経済問題ではないけれど人権問題なんかも圧力をかけてくるのは、広い意味でアメリカの利益のためだろう。だけどアメリカの利益になると認識してなければ、あえて圧力をかける動機がない。で、日本は(他の国はどうなんだか知らないけれど)圧力があると、それに応える形で改革を行うが、逆に言えば、圧力がなければ動かないなんてことになりがち。というわけで、製造業などは圧力に晒されながら頑張ってきた。金融業も遅ればせながら圧力により再編成された。一方、国内での競争はあるけれど、外からの圧力が小さいところでは旧態依然の状況が残りやすい。「新聞業界」なんて、社説では偉そうなこと言ってるけれど、自分のところは、問題点がずっと前から指摘されているのに、一向に改革される気配がない。