「大東亜戦争」という表現はいつから「失言」になったのか?(補足 その2)

第098回国会 決算委員会 第6号
昭和五十八年五月十九日(木曜日)

○三浦(久)委員 なかなかそこをはっきりおっしゃられないようですけれども、そのくらいのことはお答えになって当然だと私は思うのです。多大の迷惑をかけた、しかしそれは正義の闘争であった、そういうふうにお考えなんですか。私は、総理の腹は、いままでの一連の答弁を見るとそうではないと思うので、いま念を押して聞いているのですが、お答えになられないようですので、次に進ませていただきたいと思います。
 よく大東亜戦争という言葉を使いますね。総理も、総理大臣になる前はあちらこちらでよく大東亜戦争という言葉を言っておられた。総理になってからは、大東亜戦争とは言わないで、第二次世界大戦であるとか太平洋戦争であるとか、そういうような用語をお使いになっていらっしゃると思います。
 この大東亜戦争という用語が出てきたのは、昭和十六年の十二月八日に当時の東條内閣がアメリカとイギリスに対して宣戦の布告をいたしました。その四日後の十二月十二日に東條内閣の閣議決定が行われまして、「今次の對米英戰は、支那事變をも含め大東亞戰争と呼稱す、」そしてその理由は、大東亜新秩序建設を目的とする戦争だからである、こういうように定義づけているわけですね。そうすると、これは当然、大東亜戦争というのは大東亜の新秩序を形成するための正しい戦争であった、そういう価値判断が入った言葉だというふうに私は思います。
 そういう意味で、私は、今後、政府の公式発言とかまた公式文書、そういうものではこの十五年戦争大東亜戦争というふうに呼ばない方がいいと思っているのですが、総理の御見解はいかがでございましょうか。


○中曽根内閣総理大臣 歴史というものは悲喜こもごも織りまぜているものであり、栄光と悲惨というものが織りまざっておる。イギリスの歴史もそうであり、フランスの歴史もそうであり、共産党の歴史もそうであると私は思っております。しかしそれは、現実にみずから国民が後で反省もし、国際的批判にもたえ得る正しいものに逐次形成していかなければならぬ、それが人間が進歩するゆえんである、そう感じております。
 大東亜戦争という名前は、あのころ東條内閣がそういうふうな名前で呼ぼうと――大東亜戦争と直接はクォートしてないのですね、大東亜建設のための何とかという、そういう記憶があります。あのころ知識欲旺盛だったゼネレーションの諸君は、そういうことを言われて、そのために頭に残っておる。飛鳥田委員長も、たしか本会議で大東亜戦争という名前を出したことがあったと記憶しております。共産党の中にも、ちょっとそういうことを言いかけた方がいたのではないかと記憶したこともあります。
 そういう意味で、やはり人間の歴史というもの
は、悲喜こもごも、いろいろなものが織りなされている。その中に反省が生まれ、正しいものに逐次形成されていくのが正しいことだと考えております。


○三浦(久)委員 個人的に大東亜戦争というふうに使ったり、また一杯飲んで軍歌を歌ったり、そういうことを私は言っているんじゃないのです。政府の公式的な発言や文書の中では大東亜戦争という言葉は慎んだ方がいいのではないでしょうかと聞いているので、それにまともにはお答えになれないでしょうか。


○中曽根内閣総理大臣 その問題については、政府は特別の決定をしてないのではないかと思います。ですから、わりあいに自由に、皆さんが自分がいいと思う方法で発言しているのではないか。しかし私は、いわゆる大東亜戦争というものは、私の著書では間違った戦争であると書いてあります。その点はもうちょっとよく調べてもらえばわかります。
 どういうふうに正式に呼ぶかどうかということは、これは法的には法制局長官に聞かないとわかりませんが、私はやはり戦後の政治家として、この大きな悲惨な事実というものを反省して、そしてあのころ東條内閣が決めたそういうものが果たしてそのとおり真実なものであったかどうか、世界の歴史の批判にたえ得るものであったかどうか、これは厳正に検証し批判されなければならぬことがあった、私はそう思いますから、大東亜戦争という名前を私は公式には使わぬ、私自体はそういうふうに考えておりまして、公式には余り使ってないと思います。しかし、私的に使うことは、何しろ飛鳥田さんと同じ時代に育った人間でございますから、言うことはあると思います。


○三浦(久)委員 それは年の問題じゃないのじゃないですか。戦争に対する反省の問題でしょう。私ももう五十二歳ですから、戦争は経験しておりますよ。しかし、なるべくそういうものは使わないようにみずからを戒めているつもりです。


(以下略)


共産党の中にも、ちょっとそういうことを言いかけた方がいたのではないかと記憶したこともあります」というのはこのことかな?
第098回国会 建設委員会 第5号
昭和五十八年五月十二日(木曜日)


上田耕一郎君 

 大東亜戦争が終わったときにあれは全部終わっているんだと。しかも、大東亜戦争――太平洋戦争ですが、あれが終わってから三十五年、憲法違反のものをいまだに使っておる、これは憲法四十一条の「国会は、国権の最高機関であって、国の唯一の立法機関」だということに違反しているというので、憲法違反だから無効だという裁判所の判定が出たので、国としては、これは控訴しないと、いままで使っていたのがもう無数にあるので、これは無効だと大変だというので恐らく控訴されていると思うんですよ。