昔の性は大らかだったのか?

昨日の西郷隆盛月照の話の続き。昔の日本人は性に関して大らかだったって考えている人が多そうなんだけど、これって実際のところどうなんだろう?俺はこういうのに詳しくないので小谷野敦先生の意見をお伺いしたいところ。


知識不足ではあるんだけれど、常識的に考えて、それは時代や地域や身分や宗教や思想によって異なるので一概には言えないことだろうと思う。昨日読んだ参考資料にだって、国学者儒学者たちが僧の男色を批判していたって書いてあったし。僧侶が稚児を愛するのは女犯が禁じられていたからなのであって、それをもって「大らか」だったというのは本末転倒だし。


薩摩の「郷中」なんて、良くは知らないけれど、好きな人だけが集まるってわけじゃなくて、ほぼ強制だっただろうし、拒否権があったかどうかも知らないけれど、拒否したら集団の中での立場が危うくなりそうな感じ。で、ここでの男色の目的は性欲というのもあっただろうけれど、「団結」という意味合いが強かったのではなかろうかと思う。契りを結ぶことによって、イデオロギーや利害で結びついた関係よりも強固な関係を築き、その関係は脱退した後も生涯続いていく。そういうものだったのではないだろうか。


で、確かアメリカの大学も、同じ寮で生活を共にした人たちの結束は非常に強いのでしょう。これも、だいぶ前のことになるので記憶が曖昧だけど、何かの映画(『アニマル・ハウス』だったかな)で、新入生に対する男色じゃないけれど、他人に言えないような何か強烈な儀式をやっていたように思う(映画だから誇張があるかもしれないけど)。
フラタニティとソロリティ(ウィキペディア)


まあ、とにかく昔の日本では男色が珍しくなかったとは言っても、それを普遍的なものとして捉えると、トンデモな世界に行ってしまう危険があるんじゃないかなあと思うのであった。