サンヘドリン(四つ巴part2)

apesnotmonkeys氏の、

つまり判決が「繰り越し」となるのは全員一致かどうかによるのではなく、死刑判決であるかどうかによる、ということ。

だけれど、俺は文脈上、「全員一致の判決なら全て繰り越しになるわけではなく、全員一致の死刑判決の場合だけが繰り越しになる」って意味で理解した。

死刑を宣告する場合にのみ「全員一致」の判決は回避されることになる

とも書いてあるし。
コピペされ続ける間違い - Apes! Not Monkeys!  本館


ところが、実はそうではないという情報を、ついさっき見つけた。


判決が「繰り越し」になるのは、「全員一致」ではなく、死刑判決は、「一票差」の場合、裁判官を二名加えて再審するのだそうだ。


これが正しければ、apesnotmonkeys氏も一知半解氏も産経抄も、そして当然山本七平も、全て頓珍漢なことを言っていることになる。


もう何がなんだかわからない…


(といってもソースが微妙だったりするんだけれど)

ユダヤの思考 日本の思考 (まんだらブックス)

ユダヤの思考 日本の思考 (まんだらブックス)


(4/20追記)

タルムードのサンヘドリン編四1によると、殺人者への判決といった「死刑に相当する刑の場合は、一票差によって無罪の判決を下しうるが、有罪の判決は二票差を必要とする」。さらに「公判は日中に行ない無罪の判決はそれが決定したらその夜のうちに下すことができるが、有罪の判決は(一晩おいた上で)その翌日に下さねばならない」。また「無罪の判決を下すためには再審できるが、有罪の判決のためにはできない」。さらに証人たちは「被告を有利にするために証言できるが、不利にするために証言できない」「有罪の論証をしていた者が思い返して無罪の論証をすることはできるが、無罪の論証をしていたものが思い返して有罪の論証をすることはできない」等々の規定がある。そしてこれだけ慎重にしてもなお、数々の誤判があったという事実、これまた否定できないのである。

(『「空気」の研究』山本七平 1977)
ちなみにイザヤ・ベンダサンの『日本人とユダヤ人』は1970年、浅見定雄の『にせユダヤ人と日本人』(朝日新聞社)は1983年。


(4/22追記)
俺がここで「全て頓珍漢なことを言っていることになる」と書いたのは、「全員一致」ではなく、死刑判決は、「一票差」の場合、裁判官を二名加えて再審するとの情報を得て、もしそれが正しいのであるならば、「全員一致」の死刑判決は「繰り越し」になるとするapesnotmonkeys氏も一知半解氏も、山本七平氏も山本氏を引用した産経抄も間違いとなり「頓珍漢」なことを言っていることになると考えたからです。しかし、その後apesnotmonkeys氏の言う「繰り越し」とは、再審ではなく死刑の有罪判決は翌日になるという意味であり、俺の勘違いであることが判明しました。

すると、先の情報とapesnotmonkeys氏の主張は、一方が正しければ他方が頓珍漢になるという関係ではないということになります。ここに訂正いたします。