どうも「繰り越し」という言葉に問題があるようだ。
⇒コピペされ続ける間違い - Apes! Not Monkeys! 本館
まず浅見氏は『日本人とユダヤ人』の当該箇所のネタ元が『イエス時代の日常生活』(ダニエル・ロプス、山本書店!)の「もしサンヘドリンが全員一致で有罪の宣告をしたときは、判決は『繰り越しとなった』」という箇所であると推定する。そのうえで、タルムード第4章第1節に次のような規定があることを指摘している。
死刑罪でない裁判(直訳すれば「財産の裁判」)はその日のうちに完了してよい。しかし死刑罪の裁判は、無罪の時にはその日のうちに完了してよいが、有罪のときにはその翌日に(する)。
(『にせユダヤ人と日本人』、69ページ)
つまり判決が「繰り越し」となるのは全員一致かどうかによるのではなく、死刑判決であるかどうかによる、ということ。
この場合の「繰り越し」とは、
有罪のときにはその翌日に(する)。
という意味であると思われ。それは確かにそうなのだが。
ところが、『日本人とユダヤ人』が言っているのは、、
この場合どう処置するかには二説あって、一つは「全員一致」は偏見に基づくのだから免訴、もう一つは興奮によるのだから一昼夜おいてから再審すべし、としている。
ということで、これは前者の意味ではなく「全員一致」で無効になった場合にどうするのかということであって、全く別のことを述べているのだと思われる。この場合の「繰り越し」とは「再審」のことである。
そしてそのことはタルムードにも書いてある。ただし、タルムードには、翌日まで延期されなければならないけれど、延期したところで結果は変わらないので「無罪」になると書いてあるように俺には思えるが自信なし。実際には再審されてたのかもしれないがわからない。
また、一知半解氏が、
死刑の裁判が全員一致で「有罪」であったなら、「翌日に裁判をやり直す」。
浅見氏の記述を見ると、どうやら彼の解釈も同じと見て間違いないと思います。
⇒一知半解なれども一言申す サンヘドリン規定「全員一致の議決は無効」一考/〜浅見定雄の山本批判に妥当性はあるか?〜
と書いているのは間違いで混乱に拍車をかけている。
さらに、『ユダヤの思考日本の思考』(ひろさちや, 手島佑郎 鈴木出版)で手島氏は、、
再審しなければならないのは、死刑判決の表決が一票差の場合。
として、これはこれで間違ってはいないと思うけれど、さらに、
だけど、逆に言えば、死刑は全員一致でもかまわないわけですよね。二票差があればいいわけですから。
と書いてあり、再審は「一票差の場合」のみであり、よって全員一致の場合は再審はないという論理なのであろうが、「死刑は全員一致でもかまわない」というのは間違い。これでまた混乱した。