「日本の民話」

日本の小中学生は「日本の民話」を知らない - カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの虚業日記

「最近の若いものは…」と言いたいところだけれど、そういう自分はどうよ?って考えてみたら、「舌切り雀」は辛うじてどういう話かすぐに思い出せたが、「笠地蔵」と「おむすびころりん」はどんな話だったっけ?ってなかなか思い出せない。しばらくして、やっと思い出したけれど、本当にそうだったか自信がなかったのでネットで確認してしまいました。俺は「伝説」大好きなんですけどね。なんでだろう?


記紀神話、特に「神代」のことについてなら大体わかると言いたいところだけれどそれも怪しいので、有名な話ならわかるということにしておく。まあ、これは「神話」であって「民話」じゃない。「かぐや姫」や「浦島太郎」はわかるけれど、前者は「民話」じゃなくて中央の話だし、後者は地方の話ではあるけれど『日本書紀』にも載っている話だし。「酒呑童子」とかも地方の話であるけれど、「古典」に載っている話であり、昔は「民話」だったかもしれないけれど、中央に取り込まれて、現在はその地方を「舞台」にした伝説ってことで、それは「地方」→「中央」→「地方」って流れになっていると考えたほうがいい。「桃太郎」は日本各地に伝わる「民話」だけれど、各地に伝わっているっていうことは、元になった原型があった(岡山のウラ伝説のことではない)と考えることができるわけで、桃太郎の「民話」と言う場合、地方独自の要素が加わっているものを指すほうがふさわしそう。で、これらの話は「勧善懲悪」「因果応報」みたいな話ではない。「桃太郎」は「勧善懲悪」の話として理解されているけれど、元はそうではないだろう。「貴種流離譚」とか「英雄伝説」とかいった類の話で、善悪は超越したものだったと思う。


一方、「舌切り雀」とか「おむすびころりん」とかは、「正直者」と「強欲者」が対比され、やたら説教臭い。「笠地蔵」は良い行いが報われたってことで、これも説教臭い。ただし、これらの話も元々そこが「伝説」の重要なポイントだったのかっていえば、よくわからないけれど、そうじゃなかったかも知れない。でも現在伝わっているものについては、やたら説教臭い。だから今回、あらためて見てみると、そういう点を考えてみるのも面白そうだと思うけれど、今まで興味の範囲外だった。


それと「笠地蔵」の場合、雪国の話で、そういうところで育ってないので、どうもピンとこない。この話は何度も聞いているはずだけれど頭に入らない。ここで思うのは「日本の民話」と言ったって、それは「日本の地方に伝わる民話」なのであって、それを知っておかなければならない理由があるとしたら、そういう地方に伝わる民話があるという「知識」として、知っておいたほうがいいかもしれないって話になるんだろう。「良いことをしたら自分に返ってくる」という話をしたいのなら、別に「日本の民話」である必要は無いだろうけれど、登場人物が「自分と同じ日本人」であれば、登場人物との自己同一化が容易ということはあるかもしれない。でも「笠地蔵」だと雪国育ちじゃない自分としては、あまり身に付かない話。


なんていうか、「国民」として知っておかなければ、あるいは知っていて当然、みたいな話が実はそうでもなかったりすることもある。それなのに、そう感じてしまうのは、それがかつて「日本人の民話」という形で伝えられていた時期があったからってこともあるかもしれない(って言っても実のところ詳しくないんだけれど)。


あと「まんが日本昔ばなし」ってどうなんだろう?俺はあんまり見ていない。最初は見ていたと思うんだけれど、創作話や、かなり改変された話があったんじゃなかったっけ?それで見るのやめちゃった記憶があるんだけれど。原話に忠実なものだったら「勉強」のために見ておけばいいと思いますけれどね。


リンク先の記事とは全く関係ない話になるが、俺は国民的漫画家の藤子不二雄の作品で「ドラえもん」や「オバケのQ太郎」は良く知っている。でも「パーマン」、「忍者ハットリくん」、「怪物くん」はキャラクターはわかるけれど、どういう話なのか良く知らない。俺が物心ついた時には既に昔の漫画であり、再ブームになった頃には、すでにそういう漫画に興味がなかったので、今でも馴染みがないのであった。古い漫画だから、誰もが知っているかというと、そうでなかったりする。