経済音痴の俺が考える貧困問題・格差問題

生活保護の問題で良く聞くんだけれど、最低賃金でのフルタイム労働者の収入と生活保護費が逆転しているという話。で、最低賃金上げろとか生活保護費下げろとかいう話でなくて、素朴な疑問として思うのは、なぜ労働者の最低賃金生活保護費の金額がこれほど似ているのかということ。2万円位差があるという話があるんで、この水準でこの差額は大きいとは思うけれど、でも、やはり似ていると思うんですね。


で、それは最低賃金が最低限の生活費を逆算して算出されたものだからじゃないのかと。だから生活保護費と似ているのは当たり前じゃないかと、そう思うんだけれど、違いますかね?


で、仮定の話として極端な話をするけれど、もし最低賃金で年収が一億あって、生活保護費が年で100万円、それで最低限度の生活が保障されるとしたら、世の中そんな不満は出てこないと思うわけですよ。たとえ不正に受給したとしても、どうせ100万の生活。自分は一億以上の生活でしょう。


で、疑問としてあるのは、そんな世の中は実現可能なのかということ。もちろん現実の世界で近未来にそんな世界がくるわけがないけれど、論理的には有りえるのかと。


俺は経済音痴だけれど、そういう世の中は有り得ないんだろうと何となく思う。


なぜ有り得ないと思うのかというと、生産性が上がればその分、労働力への対価はお安くなるからなんだろうと思う。個別には違うかもしれないが、全体としてはそうなっているんじゃなかろうか?


生活に必要なものといえば、たとえば食糧だけれど、今まで一人当たり1生産してたものが10生産可能になれば、収入が10になるかといえば、最初はそうなるかもしれないが、結局1になってしまうのではなかろうか?で、残りの9は余った9人の労働者が別のものを生産して分配されるということになるんじゃなかろうか?で、労働者が余れば余るほど、その労働者が生産するものの価値も下がる。その繰り返しなんじゃないのか?


もちろん、それによって生活は豊かになる。なるんだけれど、最低限度の生活に必要な費用はある程度下がった後にはそれほど下がらない。食料の価格は100から、生産性が2倍になれば50に、4倍になれば25に、10倍になれば10にと生産性に比例して下がるけれど、減少する値はどんどん小さくなる。一方、生活に必ずしも必要とされないものの値段も同様に下がりはするけれど、最低限の生活をしている人にはそのメリットが享受できない。一方、余裕がある人も価格が安いのでそれがものすごいメリットだということに気付かないので豊かさを実感できない。


で、実際は年収100万と年収500万では、見方によっては5倍を遥かに越える差があるのだが、それが実感できないということになっているんだと思う。もし、これから技術革新があったとして、たとえばパソコンが100円で買えるような社会になることがあるとしても、パソコンを100台持ってても金持ちだという実感が湧かないし、実際に自分は貧乏人で食うものにも困ると嘆いているという世界も有りえるんだろうと思う。


違うかな?違ってても怒らないでね。