神武東征伝説と「幻の大和国」(その8)

天孫降臨の地であり神武東征の出発地である「高千穂」も、「出雲」と同様に、神話が先にあって、後で土地が選定されたのだろう。


ちなみに、明治維新以後の話として、このようなことがあったそうだ(未読だけれど)。それと同じことが古代にもあったのだと思う。

高千穂幻想―「国家」を背負った風景 (PHP新書)

高千穂幻想―「国家」を背負った風景 (PHP新書)

古事記』『日本書紀』で天孫降臨の舞台として語られる高千穂。明治維新以後、国家主義的気運の高まりの中で、「神話的空間」を実在の地名に「現実化」しようとして奔走した人々がいた。

そしてここからが本題。


だが、念のために書いておくと、これまで書いてきたこと自体が、学者が唱えているわけでもなんでもない俺の妄想(似たようなことを言っている人はいるかもしれないけれど正直良く知らない)なわけで、ここからさらに妄想が爆発することになる。


で、本題というのは、記紀神話で語られる「大和」と現実の「大和」の関係。出雲神話と出雲の関係と同じく、実は記紀神話の「大和」は史実を反映していないどころか、「大和地方の神話」ですらない可能性。まず神話の「大和」があって、後に現実の「大和」が定められた可能性について。


それを考えていきたいのだけれど、その前にもう一つ、神話に登場する蝦夷について考えてみたいと思う。