「陰謀論」と歴史学
「陰謀論」について考察した力作。長文なので、今のところざっと読んだだけだけれど、良記事の予感。是非読んでほしい。
ところで、俺は前にこんな記事を書いた。
⇒陰謀論的史料批判 - 国家鮟鱇
世界史については詳しくないので省くけれど、日本史に関しては「陰謀論っぽい」主張を見つけることは実に容易なことだ。それは「本能寺の変の黒幕」が秀吉だとか家康だとか朝廷だとかイエズス会だとかいった在野の研究でよく見られるものだけではなく、歴史学者の主張でもよく見かけることだ。
それも「聖徳太子は藤原不比等が作り上げたもの」といったような「異端」の説に見られるだけというわけでもない。(X)という史料は誰々が書いたもので、(Y)に都合の良いように書かれているとか、(Z)を貶めるために書かれているとかいった話は、ごく自然な形で書かれていて、それが「陰謀論っぽい」ということを感じさせないほどにありふれている。
むしろそういうことを書くことが「科学的」であるかのように、書き手も読み手も受け取っている節さえある。「誰々の利益のために」といった「陰謀論っぽい」説明は、おのれの主張の正当性を得るのに、実に都合の良いやり方でもある。
しかしながら、「歴史」は実験で確認することができるような代物ではなく、歴史学にとって、「事実」を証明するためには、史料の書き手が何者であり、書かれた意図が何であったのかを検証することは欠かせないし、またある事件の背後にどんな意図があったのかの考証も欠かせない。つまり「広い意味での陰謀」について考えることなしに、歴史学は成り立たない。
「真っ当な考察」と「陰謀論」の境界はどこにあるのかというと、これは結構難しい問題だろう。少なくとも明確な線引きなどできないだろう。
で、ここに、「ある個別の事象を最も適切に説明しうる仮説を導出する推論」(アブダクション)という考え方がある。
おそらく、この考え方が重要になってくるんだろうと思う。だけど俺には上手く説明する能力がないので、検索するなりして各自で調べてください…
⇒アブダクション―仮説と発見の論理 - 情報考学 Passion For The Future
⇒アブダクション諸論 (ヤルデア研究所 伊東義高)